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将来や夢や欲望を"語れない"のは悪いことなのか ジェーン・スー×桜林直子の「生きるヒント」

東洋経済オンライン / 2024年10月31日 14時0分

わたしの辞書には「欲しい」がなかった(写真:Tommy/PIXTA)

"生きづらさ"の正体ってどこにある?

TBSラジオ人気Podcast番組「となりの雑談」でジェーン・スーさんと桜林直子さんが時間をかけて丁寧に言葉を交わしてきた内容から「生きるヒント」を紹介。

書籍『過去の握力 未来の浮力 あしたを生きる手引書』より一部抜粋して、お届けします。

苦手だった「将来の夢」を語ること

<サクちゃんの話>

欲しいものを欲しいと言えない環境で育ったわたしが苦手だったのが「将来の夢」です。「将来何になりたいですか」とか、「今後の目標は何ですか」という問いかけに、いつも答えられませんでした。

まだ見つかっていないという感覚とは違い、未来にいいことが待っていると思えず、ただただ「わからない」としか言えませんでした。

夢や目標という本来あるべきものが「ある人」と「ない人」の「ない人」側にいつも振り分けられて、自分に欠陥があるように思えて自信をなくすことがしばしばでした。

「ないものはないから仕方がない」とあきらめるのはもはや自分のクセで、自分の欲や望みがよくわからない。このままでは行きたい場所に行けることは一生ないと、突如気がついたのが30代半ばです。

目の前の問題に対処し続け、その結果「あれ、ここ来たかった場所じゃない」となるのはもうこれ以上は嫌だな。強くそう思いました。

そこでひとつの仮説を立てました。

わたしは夢も目標もないし、「あれが欲しい」と言えない。それは、「望んでもどうせ手に入らないから」と早々にあきらめて、自分で「欲しい」と認めることすらできないからでは? まず「欲しいって言っていいよ」と許可したら言えるんじゃないか? と。

自分にもともと備わっている性格や性質を変えるのは難しいけれど、自分の中に「やり方」の仕組みを導入すれば、性格は変わらないまま行動を変えられる。あとはやるだけ。それならできそうに思えました。

当たり前のように「これ欲しい」「あれやりたい」と言える人が“ネイティブ素直”だとすると、あとから頑張って自分の欲を知り、外に出す努力をするのは“クリエイティブ素直”。

「素直じゃない」と言われ続けたわたしが後天的に素直になれるかどうかの実験のようなものでした。

言うだけはタダだから

具体的に何をしたかというと、「じゃあどうしたいの?」という問いを自分に投げかけました。

たとえば、困ったなという局面は生活していると大なり小なりあるものですが、わたしの場合、「まあしょうがないか」と、限られた手の中のカードで解決するのがおなじみの処し方です。

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