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3浪「東京藝大」黒歴史の浪人を"肯定できた瞬間" 合格後も受験時代の自分にとらわれていた

東洋経済オンライン / 2024年11月3日 7時40分

管理教育が厳しかった時代だったため、言われるままに勉強をこなしていましたが、中3になって進路を考えたときに「この生活を変えたい」と思ったそうです。

「テスト漬けの生活ではなくて、自分が好きなことができる学校に行きたいと考えました。当時美術科があったのは、県内でも有数の進学校である旭丘高校だけで、自分には行けるはずがないと思っていました。ですが、学校関係の仕事をしていた父親が、普通科ほどの学力がなくても合格できるみたいだ、と教えてくれたのです」

将来絵を描く仕事に就こうとは思っていなかったものの、週に12~13時間、美術の授業がある生活をなんとしても実現させたかった新家さん。

この当時、試験科目は5教科に加えて2時間の石膏デッサンであったため、美術室で石膏像を自己流で描きながら、家庭教師に週1回来てもらって受験勉強を続け、なんとか旭丘高等学校の美術科に合格しました。

自由な校風に浸かり絵を描かなくなる

こうして高校に進んだ新家さんは、念願の絵を描ける環境に入ったものの、中学時代とは比べものにならない自由な校風に浸かり、逆に絵を描かない生活を送ります。

試験で赤点こそ取らなかったものの、通知表のデッサンの評価が10段階で4だったこともあったそうです。

「授業で絵を描いていましたが、目的意識を持って取り組めませんでした。1年生のときは弓道部の活動に熱中し、1年間で二段を取得しました」

二段を取得してからは、燃え尽き症候群のように部活に行かなくなった新家さん。生活は変化したものの、依然として絵は描かず、学校から帰ると「お菓子を食べて漫画を読んでゴロゴロする生活だった」と語ります。

彼女が進路をようやく意識し出したのは、2年生の終わりぐらいになってからでした。初めて河合塾美術研究所・名古屋校の冬季講習に参加して、受験対策をするようになりました。

「同級生のほとんどは建築やデザイン・絵画・彫刻といった美術系の進路を考えていました。私は絵を描いて生きようとは思っていませんでしたが、(学力的に)今から普通の4年制大学に入るのは難しいと考えたのと、早く大学生になりたいという思いがありました。

浪人必須という印象だった東京藝大は、そのときの私には受験対象校ではありませんでした。そのため、現役でも合格者が出ていた愛知県立芸術大学と金沢美術工芸大学の日本画専攻を受けることにしました。専攻を日本画にしたのは、岩絵具の美しさに強く惹かれたからです」

現役で合格できるかも?希望が見えたが…

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