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「1浪中央→銀行」その後医学部受かった彼の奮起 「医学部は無理…」悔しい言葉がバネになった

東洋経済オンライン / 2024年12月22日 7時30分

「思えば、私は結構周囲に合わせてノリで生きてきたので、それがコンプレックスでした。周りの同級生は勉強をすごく頑張って第1志望の大学に行ったり、部活を真剣に頑張って全国大会に行ったりしているのに、私は何にも真剣に取り組めていませんでした。

27歳になって結婚も考える時期でしたが、いざ自分に子どもができても、子どもに何かを言えるほど全力でやってきたことがないと思いました。20代のうちに1個くらい全力で何かをやってみたいと考えたとき、医学部受験しかないと思い、もう一度浪人をしようと決意しました」

校舎長から言われた屈辱的な言葉

こうして会社員4年目が終わる3月末に会社を辞めて、27歳の4月から地元の大手予備校に入って医学部を目指し、浪人を始めたMJさん。

そこで電話で校舎に問い合わせたときに言われた屈辱的な言葉も、さらに彼のやる気を駆り立てたそうです。

「予備校に電話で入塾したい経緯や経歴を伝えたのですが、当時の校舎長から、『君じゃ無理だよ』と言われたんです。『僕が(医学部の再受験で)受かった事例を見たのは、文系学部の出身だと東大・京大出身者だけで、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)から入った人は見たことがない』と。それが頭に来たので、どうしても見返してやろうと思って、その予備校の医学部コースに入ったんです」

27歳で予備校に入ったMJさんは、国語が苦手なこともあり、英語・数学・物理・化学の4科目に絞った私立医学部受験にターゲットを絞ります。受験生活は幸い、社会人時代の生活リズムと変わらないこともあって、スムーズに勉強を開始できたそうです。

「朝6時に起きて1時間勉強して、予備校に行く準備をして、8時半に予備校に行って、20時まで勉強していました。その後、家に帰ってご飯を食べてから24時に寝るまで勉強していたので、平均で11時間は勉強したと思います。受験直前期は12時間以上の勉強をこなしました」

その甲斐もあってか、最初の全統マーク模試では50に満たなかった偏差値は、秋ごろに55くらいには到達しました。

しかし、それでは合格ラインまでは辿り着かず、帝京大学・東海大学・川崎医科大学・金沢医科大学の4校を受験し、たまたま川崎医科大学と金沢医科大学の2校の1次試験には通ったものの、2次試験の面接・小論文でどちらも落ち、2浪目が確定しました。

不合格からしばらく立ち直れず

「1年間全力で勉強したにもかかわらず落ちたので、しばらく立ち直れませんでした。3月は、ずっと家に引きこもってテレビばかり観ていました。

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