「ナベツネと正力松太郎」野球に与えた影響の差 プロ野球全体の繁栄をどう考えていたのか
東洋経済オンライン / 2024年12月22日 8時40分
この1949年の1月、正力松太郎は日本野球連盟の総裁(コミッショナー的地位)に就任。正力は公職追放(パージ)中ではあったが、訴追は逃れていたため連盟側はこれをGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が承認するだろうと判断していた。しかし正力はGHQ民政局と法務府特別審査局の警告によって5月13日に辞職。
ただ辞職の前に正力は「既存の6球団を8球団にする、そこで地固めをしてさらに10球団、それでも安定すれば12球団とし、2リーグへ」という「正力構想」を発表。これが「球界再編」の契機となる。
既存球団からは轟々たる非難が起こった。正力の膝元、読売新聞も5月7日「経営基盤の薄弱なプロ野球への新規参入に反対する」という社説を出した。当時の幹部の安田庄司は「反正力」の急先鋒だった。
しかし毎日新聞の社長の本田親男は、正力から事前に「2リーグ構想」を聞いていたため、すでにプロ野球参入に向けて動いていた。毎日が「資金1000万円を使って選手を囲い込み始めている」という報が飛び交い、新規参入球団も既存球団も選手獲得競争に狂奔した。
急転直下、この年の11月22日の、代表者会議でプロ野球の2リーグ分立が決定した。
毎日新聞の本田親男にプロ野球参入を呼びかけたことでもわかるように、正力は、2リーグ分立に際しても、ひとり「読売」の利得だけを考えるのではなく、職業野球全体の繁栄を考えていたのだ。
正力はプロ野球だけでなく、プロレスやサッカーリーグの創設にも大きく関与したが、自社の利益だけでなく、日本のスポーツ振興そのものを考えるスケールの大きな構想力を持つ経営者だったと言えるだろう。
巨人のナイター中継で莫大な放映権料を得る
また正力は、日本初の民間テレビ局である日本テレビも設立した。これを皮切りに民放テレビ局が次々と開局したことから正力は「民放の父」とも呼ばれた。
そして読売巨人軍は、日本テレビ系列でナイター中継を始め、圧倒的な人気を集めるようになる。これがプロ野球隆盛のきっかけとなった。
その象徴となったのが1959年6月、後楽園球場で行われた巨人―阪神の天覧試合だった。長嶋茂雄の劇的なサヨナラホームランで幕を閉じたこの試合、正力はご案内役として、昭和天皇、皇后をエスコートした。天皇とは「虎の門事件」で警視庁を追われてから36年目の再会だった、今の言葉でいえば壮大な「伏線回収」になったのだ。
巨人は高視聴率の「ナイター中継」で莫大な放映権料を得た。そしてセ・リーグ各球団は、巨人戦の主催ゲームの放映権を民放各局に販売することで潤った。巨人戦のないパ・リーグ球団は、親会社の損失補填で辛うじて維持存続を図ったということになる。
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