「ナベツネと正力松太郎」野球に与えた影響の差 プロ野球全体の繁栄をどう考えていたのか
東洋経済オンライン / 2024年12月22日 8時40分
圧倒的な人気を誇る巨人を中心とするプロ野球のビジネスモデルは、正力松太郎が確立させたと言ってよい。正力の構想力で、プロ野球は日本のナショナルパスタイム(国民的娯楽)となっていったのだ。
読売巨人軍のオーナーになった渡邉恒雄
渡邉恒雄は東京大学を卒業、東大時代は一時共産党に所属する「インテリ左翼」だったが、読売新聞の記者として辣腕を振るった。また大野伴睦、中曽根康弘など大物政治家と接近し、政治記者として大きな存在感を持つに至った。
正力松太郎は、渡邉恒雄を高く評価し、読売新聞の中枢に引き上げた。
渡邉は「君、なぜ打者は打ったら一塁に走るんだ、三塁に走っちゃいかんのかね」といったとされるほどの野球音痴で、「野球は知らない、興味がない」と公言していたが、読売新聞社内で地位が上がるとともに、自然、読売巨人軍ともかかわりができてきた。
そういう形で1996年、渡邉は、前任の正力亨(正力松太郎の息子)を、名誉オーナーとして、自身が読売巨人軍のオーナーになった。
オーナーとして彼が強く意識したのは「巨人の覇権」だった。「正力松太郎の後継者」を意識する渡邉恒雄にとっては、正力が興した巨人を「球界の盟主、覇者」の地位から降ろすわけにはいかなかった。
しかし21世紀に入ってから「プロ野球の盟主、巨人」の力の根源だった「巨人戦の視聴率」が急落。各局は、ゴールデンタイムでのナイター中継から次々撤退していった。
2004年に入ると、パ・リーグ各球団の経営難が表面化した。渡邉は「2リーグ12球団体制」を「1リーグ10球団」に再編する構想を描く。まず東京ドームを巨人と共同で使用していた日本ハムファイターズの北海道移転に賛同する。北海道を準フランチャイズとしていた西武が難色を示したが、渡邉は西武の堤義明オーナーを説得。さらに、経営難に陥っていた近鉄とオリックスの合併も推進、ダイエーとロッテの合併話も推進しようとした。
渡邉は「1リーグ10球団」にすることで、巨人戦の「放映権」の恩恵をすべての球団にもたらそうと考えたのだ。それはすなわち「球界の盟主」としての巨人の地位を維持することでもあった。
正力松太郎が創設した「2リーグ12球団」という体制を、その後継者たる渡邉恒雄が終わらせようとしたのだ。
「たかが選手が」発言で1リーグ10球団構想は頓挫
この「球界再編」は、オーナー会議の賛同を得たことで、成功するかと思われたが、これに反対してストライキを打つ構えを見せたプロ野球選手会会長の古田敦也に対して渡邉が発した「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」発言によって、世論は一気に選手会側に傾き、渡邉の「1リーグ10球団構想」は頓挫することとなった。
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