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絶滅危惧船「ホーバークラフト」大分で復活の理由 定期運航は世界で1カ所のみの"爆音"珍乗り物

東洋経済オンライン / 2024年12月29日 8時0分

かつ、コンクリートの専用走行路(スリップウェイ)を経由して、空港のチェックインカウンターの至近距離まで運んでくれる。ここで「陸上だと遠回り、海上ならショートカット」「クルマ並みに速い」ホーバークラフトの導入に至ったのだ。

大分県は他県と比べて鉄道の使い勝手がいま一つで、もよりの新幹線駅(山陽新幹線・小倉駅)からは大分駅は100km以上も離れ、特急列車で1時間20分以上もかかる。かつ、首都圏からは800km、大阪からは400kmも離れており、遠方からの移動はほぼ飛行機一択だ。

しかし、肝心の玄関口である大分空港へのアクセスに、難がありすぎる。かつ九州の他空港は「電車で市街地まで数分」(福岡・宮崎)、「連絡バスで30分圏内」(佐賀・北九州)などアクセスが良い空港も多く、九州全体で年間300万人前後いて今後も増加が見込まれるインバウンド観光客を、大分県だけが取り逃しかねない。

だからこそ大分県は、約117億円という総事業費を費やしてでも、ホーバークラフトによる大分空港へのアクセス改善を図る必要があったのだ。なお、2023年に就任したばかりの佐藤樹一郎・大分県知事も、ホーバークラフト整備と大分空港の活用を公約として前面に打ち出していた。

ただ実は、大分市内~大分空港間は2009年までホーバークラフト航路が存在した。今回の航路開設は、運営は別会社ではあるものの、実質的に「16年ぶりの復活」だ。

ホーバークラフトはかつて日本国内の各地だけでなく、世界でも広範囲で就航していたため、一般的な知名度は未だに高い。かつてのホーバークラフト全盛期を知る方なら「今さら復活? 何で?」という方も多いだろう。「空港へのアクセスに難あり」「海上のショートカットが可能」といった好条件を備えていたはずの大分県で、なぜホーバークラフトは存続できなくなったのか。

また、フェリーを圧倒する高速航行で、「未来の船」として世界中で期待がかけられていたはずのホーバークラフトは、なぜ急速に衰退してしまったのか。まずは、旅客船としてのホーバークラフトの歴史から振り返ってみよう。

最初の就航地は「ドーバー海峡」

ホーバークラフトが旅客船として初めて就航したのは、1966年(英仏国境・ドーバー海峡)のこと。デンマーク・コペンハーゲン~スウェーデン・マルメ(エーレ海峡)などの国際航路を担うだけでなく、約260島からなる香港のエリア内移動の航路としても定着した。

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