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「技術の日産」を象徴する名車たちのヒストリー 対照的なトヨタの存在、最先端のEV技術は健在

東洋経済オンライン / 2024年12月29日 11時0分

1963年発売の2代目スカイライン(写真:日産自動車)

自動車メーカーが、その存在意義を明確にするには、“競合が存在した”という例も多いのではないだろうか? 日産自動車(以下、日産)も、トヨタ自動車(以下、トヨタ)という相手があればこそ、名車が生まれたし、また独自性(相手が持っていない車種の存在)も打ち出せたのではないだろうか。

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そうしたなか、「技術の日産」の言葉が特徴のひとつといえるかもしれない。それに対するのは、「販売のトヨタ」である。

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日産を選ぶ価値、性能という魅力

トヨタはかつて、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売にわかれて事業展開していた。トヨタ自動車販売は、トヨタ自動車工業が作ったクルマを売るだけの事業だから、宣伝を含め顧客へのサービスの充実に努めた。販売店へ行けば、懇切丁寧に対応する様子は今日も続き、来店した消費者を心地よく迎える。

では、日産車を選ぶ魅力は、その性能にあるというのが、技術の日産たるゆえんで、それが個々の商品性にも表れていた。同様の姿は、1966年に合併したプリンス自動車工業にも当てはまる。

それを物語っているのが、今日なお、日産を代表する1台「スカイライン」であり、それはプリンス自動車で生まれた乗用車だ。プリンス時代に、スカイラインGTが生まれ、日産銘柄になってからも継承されて、憧れのクルマとなった。

プリンス時代のスカイラインGTがレースで活躍し、それが日産時代となってからのGT-Rにつながる。4ドアの乗用車として実用性を満たしながら、同じ車体を使ったGT-Rが高性能車として車名を牽引した。GT-Rは高額で手に入れられなくても、その血筋がつながるスカイラインGTに乗れば、胸を張り、誇りを持って運転できるというわけだ。

レースシーンで活躍した名車たち

ひとつ下の車格では、「ブルーバード」も多くの人々を魅了した。こちらもレースで活躍したほか、アフリカのケニアで開催されるサファリラリーに優勝し、その活躍ぶりは、石原裕次郎主演の映画「栄光への5000キロ」として公開され、名車の誉れを得た。ことに“510(ゴー・イチ・マル)”と型式番号で親しまれた3代目は憧れの的であり、人気を呼んだ。のちに、その面影を継承した6代目の“910”がモデルチェンジで登場すると、人気を盛り返した。

「サニー」も、レースでの活躍が人気を牽引し、より上級な雰囲気や装備を備えた「カローラ」ではなく、サニーを選ぶ理由がそこにあった。クルマ好きが選ぶのがサニーだと評価された。

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