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「奄美にあるハブ屋」使用禁止Xデーに向けた対策 時流読み変化続けるハブ屋のビジネス(後編)

東洋経済オンライン / 2025年1月1日 9時1分

ヘビに関連するリーズナブルなおもちゃや雑貨を置くコーナー「原商店」(写真:筆者撮影)

2025年の干支(えと)は「巳(み:ヘビ)」。ヘビの一種であるハブを使ったビジネスを営む企業の1つが、有限会社原ハブ屋奄美(鹿児島県奄美市笠利町)だ。1948年創業で、戦後から3代にわたり、ハブを使った加工品の製造、卸、販売を行ってきた。

奄美群島が日本に復帰した1953年当時、奄美大島にはハブ屋が何軒もあったそうだが、いまは原ハブ屋を含めた3軒が残るのみ。なぜ原ハブ屋は3代(初代の原宮哉さんと、その子どもで現在社長を務める原武広さん、武広さんの長男・武臣さん、次男・良太さん、三男・拓哉さん)の長きにわたり、ハブ屋を続けることができているのか。

その歴史をひもとくと、時流を読み変化し続けることを恐れない企業姿勢が見えてきた。前後編に分けて話を聞いた(前後編の後編)。

前編:「奄美にあるハブ屋」が3世代に渡って続く背景

値決めで父子で大げんか

祖父から父が受け継いだ原ハブ屋。「いつかは家業を手伝わないといけないんだろうな」──。そう考えていた原ハブ屋2代目の長男・武臣さんだったが、そのタイミングはもっと後だろうと思っていた。

【写真】時代に合わせて新たなコンセプトを考え、さまざまな商品を販売。

ところが、予想より早く父・武広さんから帰ってきてほしいと連絡があった。2000年、23歳の武臣さんは島に帰り、店を手伝うようになった。

しかし、帰ってきてからはよくけんかをした、と武臣さんは振り返る。

「父ちゃんが長年やってきたことに対して、経験のない自分がこんなふうにせんないかんのじゃないの? と持論をぶつけるわけですから、当然けんかになります」(長男・武臣さん)

商品の値決めでぶつかることもしょっちゅうだったという。

「当時ハブ革と5円玉を入れたお守りを160円で販売していたのですが、計算すると原価割れしていたんです。父ちゃんに伝えたら、『この5円は3円ぐらいで計算するもんだ』と言われて大もめ。笑い話みたいですが、こんなけんかばかりしていましたね」(長男・武臣さん)

武臣さんの帰郷後は、武広さんが1日3回のハブショーを担当し、武臣さんが革製品製作の全工程を担当。しかし、生産数はすぐに頭打ちになった。

ハブ皮を製品に使える「ハブ革」にする「なめし」の工程だけでも14工程あり、仕上げるのに1カ月かかる。武広さんと武臣さんの2人体制では、どう頑張っても生産数に限界があった。

そこで武臣さんは、福岡の大学に通っていた弟の良太さんと拓哉さんを呼び寄せた。良太さんは大学卒業後すぐに、拓哉さんは大学を中退して帰郷してくれた。

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