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ニュージーランド公立小の"自由で刺激的"な日常 移民大国で根付く「ダイバーシティ教育」の実際

東洋経済オンライン / 2025年1月10日 10時0分

さらに授業を重ねると、ニュージーランド固有の生態系とそれを生んだ地理、島にやってきた人と人が連れてきた哺乳類によって生態系が破壊されていること、先住民マオリにとっての鳥の重要性などへと学習が広がっていきます。生きた環境に触れながら、言語・生物・地理・歴史・文化など、特定の教科にとどまらない学びの場がつくられている。

高学年になると、ガーデニング(園芸)とビーキーピング(養蜂)が中心的なプロジェクトになります。学校に隣接した畑で野菜を育て、収穫して調理する。巣箱でミツバチを育ててハチミツを採り、ラベルをデザインして販売する。ここでも生きた環境のなかで、複数の教科にまたがる実践が行われています。

子どもたちは自分たちで試し、観察し仮説を立て、またDIY精神に富んだ地域の大人たちから技を学び、成長していく。どの場面でも、大人も子どもたちもリラックスしていて、とにかく楽しそうなんですよ。もう一つ大きな特徴を挙げるとすれば、学校の理念に「どうやってレイシズム(人種主義)を乗り越えるか」という視点が入っていることです。

鳥羽:それはすごいな。日本ではなかなか考えられないことですね。

平倉:ニュージーランドは移民大国なので、当然生徒にも移民ルーツの子が多い。私の子たちの通う小学校では、40カ国くらいの異なるルーツの子が集まっています。それぞれ異なる文化で育ち、いろんなバイアスを持っている。学校では、そのバイアスを頭ごなしに否定するんじゃなくて、互いのバイアスを持ち寄り比べてみようと。そういう機会がカリキュラムに組み込まれています。私たちも移民として来ているので、1年間だけですが、そういう環境で学べるのはラッキーですね。

問題は具体的な予算と人員

鳥羽:本当にいい経験になりますね。日本では多様性(ダイバーシティ)という言葉が実質をともなっていません。この言葉は、いまや中学公民の教科書にも太字で載っていますが、子どもたちだけでなく、教える側の大人さえも、その言葉の本体のようなものがわからないままに多用している。多様性というのは混沌とした収まりがつかないものなのに、それが単なるイマどきの言葉として消費されている。

それに比べて、この地でダイバーシティ教育が根付いていることは羨ましいし、子どもたちにとってはシンプルに刺激的だろうなと想像します。

平倉:先ほどの予算の話にもつながりますが、ダイバーシティの実現のためにも予算が必要です。多様性という言葉には、国籍や民族的ルーツだけでなく、個々人の心身のさまざまな特性も含まれます。

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