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吉沢亮「泥酔侵入」で起きうる連鎖降板への懸念 芸能人も人間、清廉潔白を求めすぎるのも問題だ

東洋経済オンライン / 2025年1月10日 9時20分

「極限までの飲酒を勧めます」というフレーズのCMに出ていたとして、それでもなお降板になったら、それは誰もがおかしいと思うだろう。

今回の例でいえば、アサヒビールの降板は両者が合意するものだと思う。もちろん、私は不法侵入について“どうでもいい”といっているわけではない。あくまで相対的な話だ。隣室の女性は、知り合いでもない男性が入室してきたら警察を呼ぶのは当然だろうし、恐怖も感じただろう。

しかし、そこに現時点では犯罪性がない。さらに、この事件は第三者にトラウマを蘇らせるものや、過去の性被害をフラッシュバックさせるものではない。だから、これ以上の予備的な自粛や連鎖的な降板は不要だと思う。

漂白する時代の行き着く先

私は吉沢さんの案件について、これ以上は過剰と論じた。ただ、矛盾するようだが、私は必然かもしれないとも思っている。

なぜならば、私は社会そのものが漂白化されていくと予想しているからだ。すべてがクリーンで清廉潔白でなければ生きていけない世界がやってきている。

その社会では、少しでも社会の規範からはみ出てしまったら、相当な罰を受けることになる。それは悪夢かもしれないが、SNS時代には必然といえるかもしれない。誰もがささいな失策を声高に叫ぶ時代になっているからだ。

企業はAIキャラクターを採用するほうがいい。そのほうが、ギャラは低く抑えられるし、スキャンダルは起こさないし、CM撮影中に苦情もいわないし、口うるさいマネージャーもいないし、CM撮影中に「こんなフレーズって俺っぽくないと思うんだよね」といわないし、メイクも衣装も必要ないし、権利関係で苦情もいわれない。完成したCMについても苦情をいってこない。

もちろん、SNSで暴言もいわないし、性加害もなく、さらに隣室を自室と間違えることはない。

たまに失敗するとは、人間的ということである。ニーチェ的にいえば「人間的な、あまりに人間的な」失敗を現代は認めない、ということでもある。

私一人の力で時代に抗うことはできない。ただ、少なくとも、芸能界でもスポーツ界でもなんでもいいのだが、それらの輝かしい世界に飛び込もうとする人たちはリスクをも考慮したほうがいいだろう。

アイドルは偶像、という意味もあるし、綴りによっては“ばか者”という意味もあるんだっけ。 そんなことを、本事案から感じたのであった。

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坂口 孝則:未来調達研究所

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