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「移民」「外国人」と聞けば嫌悪感を抱く日本人の本性 「アジア人」と自覚すればつまらない感情は消え去る

東洋経済オンライン / 2025年1月11日 8時0分

「日本人を観てシナ人といわれると厭がるは如何。シナ人は日本人よりも遙かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不信の有様に沈淪せるなり。心ある人は日本人と呼ばるるよりもシナ人といはるるを名誉すべきなり。たといしからざるにもせよ、日本はいままでどれほどシナの厄介になりしか。少しは考えて見るとよからう。西洋人はややもするとお世辞にシナ人は嫌いだが日本人は好きだといふ。これを聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分方が景気がよいときいふお世辞を有り難がる軽薄な根性なり」(『漱石文明論集』岩波文庫、304~305ページ)

夏目漱石の外国人観

これは夏目漱石がロンドンにいた時代の日記に書かれたものである。当時の日本人のイギリスでの劣等感は、日本以外のアジアに対する優越感によって償うしかなかったのだ。

今でも、海外にいる日本人はややもすると、中国人と見間違えられることを恐れている。それは長年東京に住んだ田舎者が、東京で田舎者だと見間違われたときに感ずる、面はゆい感情のようなものだ。

私自身も海外に住んでいたとき、そうした感情にとらわれた。ヨーロッパに同化したいという気持ちが中国人だと思われたくない一種の見栄を生み出し、中国人と見られることを妙に恥じ入る気持ちを生み出したのである。

確かに漱石の言うように、日本はとても長い間中国の世話になっている。今少しばかり中国が落ち目だからといって、小馬鹿にする気持ちは言語道断というしかない。

もちろん、中国が世界の指導者に再びなろうとしている現在、昔のよしみで中国人と間違われるのを潔しとするのも、いささか気恥ずかしい。もっと近隣に対し、素直になるだけでいいのだ。

西欧化へ舵取りして以来、どうもそうした素直さが欠けたことが、明治以降の日本の孤独なのかもしれない。

外国人や移民に対し同国人と同様に素直に悪いところは注意し、いいところは評価するだけでいい。

一方的に脅威を感じたり、見下したりする必要などさらさらない。それはアジア人に対してのみならず、西欧人に対しても同じである。

普通に「アジア人」として生きる

漱石も留学時代、西欧人並の日本人として大分「突っ張っていた」ようだが、留学後この突っ張りがとれたところで、作家として成長したように思える。

今の日本で大切なことは、西欧人に負けないという下手な自負など捨て、たんなるアジア人として生きればいいだけである。

そうすれば、外国人に対する不必要な怒りなど消し飛ぶだろう。それが21世紀の日本にとってとても重要なことなのだ。 

的場 昭弘:神奈川大学 名誉教授

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