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公務員を辞めて「ドラマの料理」を作る彼女の人生 「ゴールデンカムイ」や「ふてほど」など多数担当

東洋経済オンライン / 2025年1月14日 8時0分

赤堀さんはドラマや映画の食のシーンに精通したフードコーディネーターだ。2024年にはNHKの朝ドラ「虎に翼」の料理監修を務めている。映像作品に強い師匠との出会いにより、はらさんはドラマや映画の現場におけるフードコーディネーターの役割や立ち回りを学んだ。

「もともとドラマには詳しくありませんでした。赤堀先生のアシスタントとして撮影の現場で経験を積んだおかげで、ドラマや映画に呼んでいただけるようになったんです」

フリーランスとして独立したのは34歳。はらさんはなぜ30歳でフードコーディネーターの道へ進んだのだろうか。その軌跡をたどる。

学生のときから料理に携わる仕事を志望していたが…

はらさんは小学生の頃に料理を始めた。好き嫌いの激しい弟にメインのおかずを作ると「おいしい!」と言われ、父からも褒められた。

高校を卒業する頃には調理系の専門学校への進学を志望したが、父に相談すると反対されたという。

「料理人を目指す人は小さい頃から修業を重ねている。今から学校へ通っても遅い。もし本気で料理人を目指すなら料亭で修業するか、海外に行くかだ。その覚悟があるか」

「そこまでの覚悟は持っていないな」と考えを改めたはらさんは目白学園女子短期大学へ進学。ここで食の仕事の幅広さを知った。

「大学では食品業界の大手メーカーのメニュー開発の担当者、料理研究家の先生の講義がありました。料理人以外に食の仕事があると知ったんです。この時に料理に携わる仕事がしたいと思いました」

しかし、就職活動が始まると、その想いは砕かれる。大学の就職課に尋ねると「うちのような大学にそんな条件のいい求人はありません」と断られ、企業の料理に関する専門職への応募はできなかった。

肩を落としたはらさんは家庭科の教員採用試験の受験に挑む。ただ、当時は就職氷河期であり、少数の採用枠に200人近くが集まっていた。競争は激しく、筆記試験を突破できなかった。

試験に落ち続けた末にたどり着いたのは地元の教育系の臨時職員だった。その2年後に町役場の採用試験を受けて合格。22歳で公務員としてのスタートを切った。

30歳までに公務員を辞めると決意

はらさんが自身のキャリアについて再び考えたのは20代の中盤に差しかかった頃だった。そのきっかけは住民課への異動。さまざまな住民から寄せられるクレームを大量に受け続けた。そんな日々を送っていると発疹が浮かんだ。「皮膚病かな?」と思い病院に行くと、帯状疱疹の診断が下り、自宅で1カ月療養することになった。

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