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ヤマザキマリ「飢えは多くのことを教える」の真実 実体験で腑に落ちたラテン語の格言が意味すること

東洋経済オンライン / 2025年1月16日 17時0分

社会から見捨てられたような疎外感、自分という存在を維持する苦しみ、理想の崩壊に伴う悲しみ、孤独感。最悪な感情ばかりですが、客観的に捉えると、これらの心情はすべて人間に備わっているわけです。なかったらもっと楽なのに、あるわけですよ。

つまり、人間として生きていくうえで経験しておいたほうがいい感情だということです。嫌だけど、免疫として身につければ自分も丈夫になるし、後で絶対役に立つ。それは言い切れます。

一回貧乏を経験すると、多くのことが怖くなくなります。「今ここで多少お金がなくなったとしても、最悪あの時の状況に戻るだけだし、ま、いっか」などと大胆になれる。その大胆さがまた、事態を打開してくれる。「運は勇敢な者の味方をする」に結びつきますね。

ラテン語:私の場合は、外国語をやっていることが「飢えは多くのことを教える」と、ある面では通じる気がします。学校の教科のなかでも、特に英語はそれができるだけで職にありつけるはず。そう考えて英語学習に力を入れたこと。これが今の仕事に繋がった実感があります。

これが他の教科では果たして自分がありつけるほど多くの働き口があるのか。もちろん語学以外の教科を否定はしませんが、少なくとも私の場合は、将来を見据えた時、それまで得意科目は数学だったにもかかわらず、英語に注力することを決断しました。

ヤマザキ:ラテン語さんのその話からもわかるように、飢えとは現在の経済的な困窮だけを意味しているわけではありません。

イタリア語で飢えはfameと言いますが、空腹の意味以外にも使われます。枯渇感とか渇望とか強い願望とか、そういった意味もある。見方を変えれば、要するに思い通りにならないことへの苦悩です。

こうした苦悩に伴う他の感情、諦めや妬みや失意といったネガティブなものも含め、それはそれでプラスアルファである種のエネルギーを溜めることに繋がり、次のステップに繋がっていく場合もある。そういう解釈もできるのが、multa docet famesだと思います。

「テルマエ・ロマエ」を執筆する大きなきっかけ

ラテン語:ヤマザキさんがイタリアでお風呂を渇望した経験が、『テルマエ・ロマエ』に繋がるというのも、まさにmulta docet famesに当てはまるのではないでしょうか。

ヤマザキ:まさにその通りです。ポルトガルのリスボンにいた頃、築80年の古い家屋に暮らしていたんですが、床が抜けるかもしれないので浴槽は置けませんでした。お風呂に入れないと思うと、もうお風呂に入りたくて入りたくて仕方がなくて、湯に浸かっているじいさんの絵を描いていたら、まるで自分が入浴しているような疑似体験ができたんです。そこで思いついたのが『テルマエ・ロマエ』だったわけです。

当時のポルトガルには、私が銭湯に通っていた頃の、古き良き昔の日本に似た空気があったこと、それと、ちょっと遠出をすればすぐに古代ローマ時代の遺跡があって、そこには立派な浴場の跡があったこと、これも『テルマエ』を執筆するための大きなきっかけとなりました。

そうした遺跡の浴場の跡地に行くと、ポセイドン神(海神)のような水回りにふさわしいモチーフの立派なモザイク画や、まだまだ使えそうな浴槽が放置されていて、それはもう悔しかったですね。なぜ営業してないんだ!と憤慨してました。羨望に怒りや悔しみといった感情がない交ぜになってできた漫画ですから、何でも手に入る日本に暮らしていたらあんな漫画描いていませんね。

ラテン語さん:ラテン語研究者

ヤマザキ マリ:漫画家・文筆家・画家

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