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年収は1/3に「それでも名物DがTBSを辞めた」理由 大前プジョルジョ健太さんが辿る「奇異な人生」

東洋経済オンライン / 2025年1月30日 9時0分

だが、しんのすけさんと別れるきっかけが訪れる。

「しんのすけさんは握力が70kgあると言っていたのですが、小学校の握力測定では平均が20~25kgくらいだったので、凄い怪力だなと思ったんです。それで家からリンゴを持っていって、しんのすけさんに潰してみてと渡すと、できなかった。僕が『嘘つくなよ!』と言って大喧嘩になりました。それからしんのすけさんは野球に来なくなった。なんであのとき、しんのすけさんにあんなことを言ってしまったんだろうとずっと後悔しています」

小学生だった大前さんはしんのすけさんとの出逢いと別れを通じて、「世の中は正しいことを言うだけが、正義じゃない。時と場合によっては嘘をつかなければならないこともある」と悟ったという。

“光の当たらない人”にフォーカスする番組を作りたい

高校では野球部に入り、キャプテンまで務めた大前さんだが、才能には恵まれず1試合も出ることなくずっとベンチウォーマー。大学に進学してからは、花火師の免許を取って東北地方に花火を上げに行ったり、落語家やミュージシャン、ダンサーの友だちを集めて車1台で地方の祭りに参加し、寄席をやる活動を行ったりしていた。

そんな彼が学生時代に夢中で見ていた番組がある。

「『万年B組ヒムケン先生』(2016年4月から2017年3月までTBS系で放送されたバナナマン日村勇紀さんがメインを務めた深夜番組)が大好きでした。この番組を見てTBSに入ろうと本気で思いました。

“光の当たらない人”にフォーカスする内容で、少し変わっている人たちがたくさん登場するんです。そんな人たちを日村さんが優しくいじりながら、その人の本質をきちんと丁寧に拾いバラエティー番組として映像表現していて、自分もこんな番組を作りたいなと思いました」

2018年、大学を卒業した大前さんは、なんとその『万年B組ヒムケン先生』を制作したTBSに入社。ものすごい倍率を突破して内定を掴んだわけだが、彼を奮い立たせた理由はもう1つあった。

「実は好きな女の子がアナウンサーを目指していて、その子に振り向いてもらうためにテレビ局に入ろうと思ったんです。花火大会で一目惚れしまして(笑)。結局、成就はしなかったのですが」

「生きづらさ」を抱えている人にシンパシーを感じる

TBSに入社した大前さんは、まず『あさチャン!』などの情報番組を1年間担当した後に、報道局経済部に記者として異動した。当時はコロナ禍真っ只中。TBSでもあらゆる感染防止策を講じている中で記者として過ごしていた大前さんだが……。

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