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二子玉川の隣なのに「ほぼ無名」元"花街"の実態 橋を渡って東京から遊び人が訪れた「二子新地」

東洋経済オンライン / 2025年2月1日 8時20分

判明する「新地」の謎

IDOBATAを出て、街の散策を続けた。

二子新地は「芸術は爆発だ」の名言で知られる岡本太郎の母で作家の岡本かの子の出生地だ。岡本は1889年3月1日、旧二子村(現・高津区二子)に生まれた。

多摩川の二子橋の近くにある、二子神社(神奈川県川崎市高津区二子1-4-1)の境内には、息子である岡本太郎作の文学碑「誇り」が建立されている。

これは、全国のファンによって1962年に計画・建築されたものだ。彫刻の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という岡本太郎の銘が刻まれている。

岡本かの子文学碑は多摩川沿線道路の脇に建っているのだが、この道を越えると、眼下に多摩川緑地が広がる。

緑も多く、休日になると、ピクニックに訪れる家族連れや、グラウンドを使うスポーツのグループでにぎわう。地元民だけでなく、電車を乗り継いでやってくる人も多い。

ここでゴルフの素振りをしていた男性がこんなことを教えてくれた。

「新地通いって言葉を知ってるかい?」

ライターとして恥ずかしい限りだが、初めて聞く言葉だった。

「新地って言葉がついている土地はね、新しく開発したという意味のほかに、”大人の遊び場”っていう意味もあるんだよ。

二子新地も昔はそういう地域だったんだね。こっち(神奈川県)とあっち(東京都)を結ぶ二子橋の建設で生きの良い若者が集まってね、そういう人たちにここらへんの遊び場は大人気だったんだ」

たしかに、「新地」を辞書で調べると、以下のように説明されている。

①新しく住居地として開けた土地。新開地。

②《多く新開地にできたことから》遊里。「──通い」

③新しく手に入れた領地。新知。

※いずれも「大辞泉」(小学館)より

さらに二子新地の歴史を紐解くと…

『花街の引力 東京の三業地、赤線跡を歩く』(三浦展著)を開くと、「二子玉川、二子新地」の項目に、以下のような説明がある。

〈川崎市高津区二子にも三業地(料理屋、待合茶屋、置屋の3つの業種が集まっている地域の俗称※筆者注)があった。三業地として成立したのは1924年。二子橋の建設中に職人たちがお金を落とすようになったのがきっかけで、橋の完成後は東京から客が来るようになったからである。二子にある旅館の「二子亀屋」が最初に芸者の置場「新亀屋」を二子神社裏につくった。続いて「千代鶴」という置屋ができ、三業地として発展していった。〉

1986年に川崎市が発行した『かわさきのあゆみ─写真で見る明治・大正・昭和─』には、当時の様子を以下のように記している。

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