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人生諦めた「自称・弱者男性」に僧侶がかけた言葉 他人の人生の「脇役」として生きてはいないか

東洋経済オンライン / 2025年2月3日 11時30分

私たちはしばしば自分が主人公であること忘れ、人生を見失いがちです(写真:eizan/PIXTA)

あれもこれもと心配ごとが多すぎて、身動きがとれなくなっているのが現代人。どうしたら、不安に囚われることなく、「今、この瞬間」を全力で生きることができるのでしょう。

新著『考えすぎないコツ』では、禅僧であり世界的な庭園デザイナーでもある枡野俊明さんが、「頭をからっぽにして、心を無の状態にする」ためのヒントを解きます。

本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。

誰もが「主人公」になれる

「主人公(しゅじんこう)」

【写真でわかる】不安を「大きくしない」人が実践している簡単なコツ

一般的には、ドラマやマンガなどに登場する中心的な人物のことを指しますが、実はこれも禅語です。

「随所作主 立処皆真(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)」という臨済禅師の言葉があります。

すべての物事に対し「主体的」な自分でありさえすれば、真実の人生が得られる、人生が輝き出す。人生を人まかせ、成り行きまかせにせず、生きたい人生を選ぶ。主人公として生きるとは、そういうことです。

「自分、『弱者男性』ですから」という方のお話を聞いたことがあります。

曰く、収入は少ない、容姿もよくない。学校でも会社でも、これといった褒められた記憶もない。このままでは結婚できるとも思えない。誰かに虐げられていて社会の最下層にいる気がしてならない。救われたい。幸せになりたい。

そんな苦しい胸中を正直に明かしてくれました。禅僧として、この男性にどんな言葉をかけるべきか、私も悩みました。

さまざまなお話をしたのですが、ひとつ気になったこともお伝えしました。

それは、

「自分の人生はこんなもんなんだ」

「自分ではどうすることもできないんだ。努力しても仕方がないんだ」

とでもいうような「諦め」の気持ちが感じられたことです。

まるで、自分が人生の「主人公」であることを忘れ、誰かの人生の「脇役」として生きているかのようです。

他人のモノサシで自分をはからない

その男性だけではありません。私たちはしばしば自分が主人公であること忘れ、人生を見失いがちです。

自分と他人を比較しては「収入が低い」「容姿が悪い」などと、ネガティブな想念を膨らませてしまうのも、そのためでしょう。仕事や家庭に忙しい人たちも、たくさんの用事に追われるばかりの「受け身」の人生を強いられがちです。

そういう人たちの特徴は「~させられている、やらされている」という意識が強いことです。その意識を払拭しない限り、主人公にはなれません。

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