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人生諦めた「自称・弱者男性」に僧侶がかけた言葉 他人の人生の「脇役」として生きてはいないか

東洋経済オンライン / 2025年2月3日 11時30分

人生100年時代です。長い人生を生き切るため、時には立ち止まることです。

これは、たんに身体を休めるためばかりではありません。自分の人生を振り返るためにも、時には立ち止まらなければならない。心のなかに住まう「本来の自己」と対話したいと思っても、走りながらでは声が聞こえません。

とりわけ、人生につまずいたときは、立ち止まる勇気を持つことです。遅れを取り戻そうと焦り、つまずいた原因を究明しないまま走り続けると、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。

「失敗を糧にする」ためにも、私たちには休息が要るのです。

これだけいっても休めないあなたは、残念ながら、時間を「使う」人ではなく、時間に「使われている」人かもしれません。

唐の時代の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)という禅師が、「汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり」という禅語を残しました。

十二時とは、今の24時間のこと。禅師は「あなたは時間に使われているけれど、私は時間を使い切っている。時間に対する取り組み方、姿勢が違うのだ」と、弟子に説いたのです。

「時間に使われる人」とは、どんな人でしょう。

例えるならそれは、これから10の仕事をこなさなければいけないときに、「ああ、忙しい、忙しい」と時間に追われてばかりの人だと思います。

いつも気持ちに余裕がなく、作業を終わらせるのが精いっぱいで、作業のクオリティにまで頭がまわりません。また、時間の使い方に区切りがないのも特徴です。休む時間、働く時間、楽しむ時間の境目がなく、心身を回復させる暇もありません。

その点、「時間を使う人」は、余裕綽々です。

「この日は、頭が回る午前中に企画書をつくってしまおう。お昼を食べて、午後からは社内の打ち合わせを詰め込もう」

「今日は予定を早く済ませることができたな。思い切って仕事を切り上げて、家の用事を済ませようか」

などと、「この時間にはこれをやる」と自分で決めて、自分が決めた通りに仕事を終わらせていきます。

今この瞬間を「生き切る」ために

もしかしたら、仕事が進む速さそのものは、時間を使う人も時間に使われる人も、さほど変わらないかもしれません。違いが出てくるのは例えば、同じぐらいの仕事量を抱えたときの精神状態です。

追い詰められイライラすることなく、ゆうゆうと乗り切るのは、どちらか。

ミスなく、クオリティの高い仕事ができるのは、どちらか。

仕事を楽しみ、「仕事がある」ありがたさを感じられるのは、どちらか。

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