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人生諦めた「自称・弱者男性」に僧侶がかけた言葉 他人の人生の「脇役」として生きてはいないか

東洋経済オンライン / 2025年2月3日 11時30分

私が申し上げたいのは、あなたがどのような境遇におかれていても、主人公として生きることを諦めてはいけない、ということです。

あなたの人生は、あなたのみが生きているあなた自身の人生であり、絶対的なものです。他人の人生との比較など、はじめからできるはずがありません。

人と比べて才能があろうとなかろうと、心から「やりたい、好きだ」と思うのであれば一生懸命やればいい。自分流を貫いて生きればいい。

その結果がどうなろうと、さしたる問題ではありません。こうした態度でコツコツ努力を続けるうちに、収入の多寡や外見の良し悪し、友人や恋人の有無など、周りが押し付けてくるモノサシによる評価など、取るに足らないものだということがわかってくる。それがなにより大切なのです。

それに、才能の多寡にかかわらず、自分にできることをコツコツ続けていれば、必ず結果はついてきます。

「大地黄金(だいちおうごん)」という禅語を覚えておいてください。

自分がいる場所で、主体的に精一杯ものごとに取り組んでいけば、その場所が黄金に輝いてくるのです。自分を輝かせてくれる場所があるのではない、あなた自身がその場所を黄金色に変えるのです。

容姿だって、「自分では変えられない」と思うから、クヨクヨするのです。

自分のまわりを見渡してみてください。あなたが思う「いい顔」とはどんな顔でしょう。「目がパッチリしている」「鼻が高い」等、生まれつきのものもある一方で、生まれとは関係なく、輝くような「いい顔」もあるとは思いませんか。

「いつも堂々としていて、一緒にいると安心できる」

「あの人が笑うと、その場が明るくなるね」

そんな顔のことです。

いい顔とは、形が整っている顔のことではありません。内面の充実があきらかな顔のことをいうのです。それは、自分の生き方がつくるもの。主人公として、その人だけの人生を生きることで、その人だけの味わいが顔ににじんでくるのだと思います。

主人公としての生き方の真逆は「斜に構える」です。人生に対して真正面から取り組まず、「やらされている、させられている」という意識です。これでは不満がたまる一方、人生が輝くはずがありません。

仕事も人生も「ちょっと工夫」

仕事もそうです。主人公として生きようとするならば、自分の目の前にある仕事に没頭することであり、それ以外の道はないのです。

なかには、本意でない仕事を任されることや、スポットライトの当たらない、地味な雑用に不満を覚えることもあるでしょう。そのときも「雑用をやらされている」と思うと質の高い仕事はできませんし、第一面白くもなんともありません。

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