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人生諦めた「自称・弱者男性」に僧侶がかけた言葉 他人の人生の「脇役」として生きてはいないか

東洋経済オンライン / 2025年2月3日 11時30分

しかし「任された仕事なのだから自分のやり方で成果を出そう、自分の色に染めてやろう」と思って取り組めば、迷いは晴れますし、期待以上の成果だって出るでしょう。

例えば、いかにも退屈な「ホチキス留め」だってそうです。「どの位置に留めるとめくりやすい書類になるだろう」「左利きの人にわたす資料と、右利きの人にわたす資料、ホチキスの向きを反対にしてみようか」などと、ちょっとだけ工夫してみる。

それだけで、退屈な雑用が、あなたの個性が発揮された、あなたの仕事に変わるのです。それができたら仕事は面白くなります。面白ければ、没頭できます。没頭すれば、余計なことは、気にならなくなります。

要は、人生も仕事も、主体的に、楽しんでやること。もっといえば「ちょっとだけ工夫する」。それができるなら、どんな境遇にいようとも、あなたは今ここから、主人公です。

「主人公」として生きられるようになると、時間の使い方も変わります。

昨今は、何をするにも「生産性」第一。

より短い時間で、より多くの成果を生み出すことが善であり、非効率は悪である。そんな風潮のなか「休む」ことの大切さが見失われていると感じます。

せっかくの休みなのに仕事のメールを返信してしまったり、遊びの予定を詰め込みすぎてしまったり。そうして迎える月曜日の朝は、身体も心も重たいまま。休息中も生産性を求めるようでは、疲れはとれません。

休めといわれても休めない。あなたにも心あたりはありませんか。

それは「もし休んだら、この競争社会で負けてしまうのではと不安になるから」でしょうか。それとも、「なんだあいつ、こっちは働いているのに」と同僚に非難されるのが怖いからでしょうか。

しかし人間は、生まれてから死ぬまで休みなく泳ぎ続けるサメやマグロなどとは違うのです。動き続ければ疲れがたまり、やがて止まるのは当然のなりゆきです。そうなっては、効率どころではなくなるでしょう。まわりの心配をよそに「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と強がっているうちに、いつ限界が訪れるかわかりません。

人生に「踊り場」をつくる

「七走一坐(しちそういちざ)」という言葉を覚えておいてください。

直訳すれば「七回走ったら、一回座りなさい」ということ。休む大切さを教えてくれる禅語です。

数百段になろうという長い長い階段も、一気に登り切ろうとすればうんざりしますが、踊り場にくるたび一息入れると、想像していたよりもずっと楽に登れるでしょう。体力が回復すれば、気力も戻ります。高いところからの景色を眺める余裕も生まれるかもしれません。

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