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結局のところ「信長」は革命児だったのか、否か 時代により揺れ動く評価と家臣たちの不遇

東洋経済オンライン / 2025年2月7日 12時30分

垣根 なるほど。

早島 その後、2020年代になると、この流れが落ち着いてきます。ただそのようななかでもつい最近も複数の歴史雑誌で信長の特集が組まれていましたから、結局売れるのはそこなのかと(笑)。

「戦国時代を象徴するアイコン」である信長

垣根 たぶんそうなんでしょうね。信長はたいしたことなかった、という特集が今は読者に喜ばれるのでしょう。でも信長は、やはり戦国時代を象徴するアイコンであると僕は捉えています。

信長の場合、やったこともある意味徹底していますよね。それは個人的な性格からくると思っていたのですが、神仏もない、八百万(やおよろず)の神的な発想もないわけですよね。すべての物事に神が宿っているみたいな発想もない。そういう意味でもやはり時代を進めた人物なんだろうと思います。

僕は大学でずっと心理学をやっていたんですね。それもあって、どちらかというと織田信長という人物を気性のほうに重きをおいてずっと見ていたのですが、そこに時代性もあった、というのは確かにそうだと思います。同時にそれは、今の時代にもつながるところがあると思うんですよ。

たとえばアメリカでは、近年になってリバタリアンが増えているといわれていますよね。特にテクノ・リバタリアンって、ある種数学的な合理性からすべてを発展させていくという考え方だから、共和党みたいな小さな政府がいい、などと言い出しています。

そういう人たちは1970年代から80年代生まれになるのかな。世代的な意味でも転換期に重ねてもいいのかなという気はします。

神仏論のあるなしという話と、大きな意味での怨霊・祟りのあるなしという話というのは、今の時代とリンクさせるとすればそのあたりなのかなと。あとテレビの影響力の低下も大きいのかなと思います。既存のメディアの影響力が下がってきているのは間違いない。

メディアの寵児のように現れる人は、もちろんかなり特異なパーソナリティなんでしょうが、やはり時代性を背負っている。時代の精神みたいなものからの影響から自由ではない。それは、信長の精神的な背景と重ねることができると思います。

信長の合理性が抱えていた「悲しきジレンマ」

垣根 信長に足りないのは、シンプルに共感性みたいなものではないですかね。『信長の原理』という僕の小説のなかで、象徴的にそれを描こうとしたんだけど、社会を機能的に進めようとする、合理的に進めようとすればするほど、実際には合理的にはならないんですよ。

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