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結局のところ「信長」は革命児だったのか、否か 時代により揺れ動く評価と家臣たちの不遇

東洋経済オンライン / 2025年2月7日 12時30分

柴田の場合、現地で検地する際、丈量(じょうりょう)検地といって自分たちで計るんです。彼はずっと北陸にいて動かないので、おそらく暇だったのではないかと思うんですが(笑)。

明智の場合は、非常に忙しかったので征服地では現地の人間に調査させて、データを提出させてそれをまとめる形にしたんです。つまり自分ではいかない。厳密にいえば光秀の場合は指出(さしだし)なんです。現地で直接計らない。

垣根 代行をたててやっている感じですね。

早島 そうです。ただその場合はどうするかというと、マクドナルドのようなチェーン店と同じでマニュアルが精緻になるんです。そういうマニュアルが残っているのは光秀だけなんですね。「家中軍法」というのが残っていて、細かいことを書いているんです。秀吉の場合、これは愚直だなと思うのですが、やっぱり自分たちで計るんですよ。

こういうことを、信長は現地に任せているから、要するに結果さえ出ればオッケーなので、やり方について信長は指示しないんです。だから各武将によって方針などが変わってくるのでしょう。

優秀な武将ほどすぐ死んでいく「織田家の宿命」

ただ織田家の場合、常に戦争をしていますから、優秀な武将ほどすぐ死んでいくんですよね。それに加えて信長は気のきかない人間が嫌いだから、たくさん首にしていますよね。佐久間信盛とか。優秀な武将は死ぬし、ちょっとこいつ驕っているなと思ったらすぐ首にするし、組織は大きくなっているのに仕切る人間が減っていくんですね。

垣根 初期の本願寺攻めでも優秀な人物が亡くなっていますよね。

早島 原田(塙/ばん)直政ですね。あの人が死んだのは大きかったですよ。しかもあっけなく死んでいますから。

垣根 そのあと佐久間がそのポジションについたんですよね、確か。残りの5年は。

早島 それが物足りなくて、そこを明智にやらせるんです。

垣根 そのあと畿内を引き継いだのが明智光秀ですからね。

早島 その後、信長は変に人間らしさを出して、一族においしいところを継がせようとするんです。最前線ではなくて内地になったところを一族に継がせようとして、それぞれがんばってきた光秀とか秀吉などは最前線に出す。

とくに明智光秀の実績を追っていてびっくりしたのは、畿内の政治を任せておいて、武田攻めのときにお前も戦争に参加しろ、と命じるんです。やむなく光秀は、我々みたいな50歳過ぎの老体に鞭うって出陣すると(笑)。

その武田攻めの日数を数えていたのですが、片道10日もかかるんです。現地に滞在するのも10日くらい。そしてまた10日かけて帰ってくるんです。これはやっぱりしんどいだろうなと思いました。

垣根 光秀って、それまで遠くに出たことないんですよね?

早島 東は岐阜までですね。その仕打ちはひどいな、と史料を追っていて思いました。

垣根 でもそれって、いまにして思えば、ある種のほのめかしというか、前哨戦ではないですかね?「光秀、お前も遠国にやるぞ、覚悟しておけ」と。僕はそういう感じで小説もちょっと書いたんですけど。

早島 だからいろんな武将が京都を離れるのを嫌がっていますね。

垣根 滝川一益も関東に行くのを嫌がっていましたよね。

垣根 涼介:作家

早島 大祐:関西学院大学教授

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