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リストラから奮起「プロレス美術館」作る60歳人生 自宅の一室をプロレス愛と熱狂が詰まった空間に

東洋経済オンライン / 2025年2月11日 8時10分

湯沢さんは必死になって就職活動に取り組むも、うまくいかない日々が続く。

「再就職ができず、もうなんか悲しくなってきましてね。サラリーマン時代の貯金は多少なりともありましたし、もうヤケクソになりまして。一旦頭を切り替えて、プロレス部屋を展示室からプロレス会場に進化させようと思ったんです」

仕事は見つからないが、人生が終わったわけではない。時間の余裕を生かして、プロレス部屋をグレードアップする方向に舵をとった。

天井には照明を設置し、部屋の中心にはリングを設置。さらには場外マットやフェンス、入場ゲートまで作り上げ、趣味だった小部屋は1年かけてプロレス会場へと進化した。

せっかくなら一般に公開して多くの方に見てもらおうと、2000(平成12)年の元旦に「プロレス美術館」として開館した。

リストラというピンチには見舞われたものの、趣味の場所を多くの人に開かれた場所にまで進化させ、美術館を開くまでに至った。

来館者からお金をいただくことはせず、純粋に美術館を楽しんでいただきたいことから入館料は無料に。それゆえ、美術館で生計を立てることは考えていない。

一方、仕事の方は、正社員の仕事がなかなか見つからない。月12万のローンを抱えているため、朝7時から23時頃までタクシー運転手や病院の受付、検体輸送などのあらゆる非正規の仕事でつないだ。

長時間労働の疲労にローン返済の負担、非正規の綱渡りのような生活による不安から「ローンの返済が先か、または寿命が尽きるのが先か」。

そんな考えが頭をよぎるほど、追い詰められた日々を送っていた。

リストラを経て自ら作り上げた生きがい

長時間労働の毎日が続くため、「プロレス美術館」を開館できるのは月2日ほどが限界だったが、この開館日は慌ただしい日常を忘れさせてくれる大切な時間だった。

プロレス好き、さらには他ジャンルのマニアな方々が訪れ、普段の生活では出会うことがない人との交流はとても楽しいひとときだった。自宅の一室を美術館にしたという珍しさもあり、テレビやラジオなどのメディアにも取り上げられた。

多くの人との出会いや交流は、湯沢さんの人生に彩りを与えた。

「僕ほんまはね、最初プロレス美術館にするつもりじゃなくて『プロレスの小部屋』というイメージだったんですよ。せやけどいろんな人と話してるうちにね、もっと自分を主張した方がええと。だったらもうプロレス美術館を名乗ってしまおうと。

思い切った命名があったからいろんな人が協力してくれて、いろんな人が来てくれはったとすごい感じてるんやね。僕がこんなん言える立場ちゃうんやねんけど、こんな小さなマニアックな世界でも、博物館とか美術館とつけるのはもう“やったもん勝ち”だと思いますよ」

60歳で遂にローン完済、現在も週3でバイト

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