<Wコラム>イ・ミンホとチャン・グンソクが生まれた年に韓国で何が起こったのか(後編)
Wow!Korea / 2016年7月4日 17時10分
ただし、その譲歩案を全斗煥が受け入れるかどうかは微妙な情勢だった。
■民主化闘争が劇的に勝利!
6月30日に盧泰愚は青瓦台の全斗煥を訪問して、譲歩案の受け入れを要請した。形のうえでは、盧泰愚が全斗煥を説得する形で譲歩案が正式に政権側で認知されることになった。
しかし、全斗煥の報道担当秘書官はのちに、譲歩案を先に提案したのは全斗煥であり、大統領直接選挙で有利になるように盧泰愚の功績にしたのだと明かした。真相はどちらにせよ、断崖絶壁に立たされていた韓国の政局は完全に息を吹き返した。
全斗煥は7月1日、テレビやラジオを通じて特別談話を発表。その中で6月29日に盧泰愚が発表した事態収拾案について「私も全面的に賛成であり、国民の間に妥協と対話の精神をもたらす」と歓迎する意向を示した。
これによって韓国の民主化闘争は劇的な勝利を得ることになった。そうした高揚感が韓国全土に漂う中で、チャン・グンソクは8月4日に生まれた。
彼が誕生したとき、すでに韓国は軍事国家から民主国家への転換をはかっていた。チャン・グンソクは幸いなことに、軍事独裁をまったく知らずに育ったのである。
■来年は30周年記念
1987年12月に、与党の約束通り大統領の直接選挙が行われ、盧泰愚、金泳三、金大中(キム・デジュン)の三大有力候補が激突した。金泳三、金大中という両野党候補が一本化できれば与党側の盧泰愚にとっても大きな脅威だったが、結局は両陣営が分裂したために、野党票もそれぞれ分散する結果となった。
それによって、漁夫の利を得る形で盧泰愚が当選を果たした。
いずれにしても、民意が反映しやすい直接選挙によって平和的に政権が委譲されたという事実は大きかった。
以後、韓国の民主化は着実に実行され、軍事政権時代には考えられないような健全なる市民社会が構成されることとなった。つまり、韓国がはっきりと変わったのは、1987年6月29日以降である。この日を境に韓国は民主国家に転じ、表現の自由を得た。
そうした自由な空気の中で、イ・ミンホやチャン・グンソクはすくすくと育ったのである。彼らはまさに「民主化の申し子」と言えるだろう。
韓国が民主国家に転じて今年で29年。来年には、記念すべき30周年を迎えることになる。
文=康熙奉(カンヒボン)
(ロコレ提供)
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