【倉本 聰:富良野風話】足音
財界オンライン / 2024年3月31日 11時30分
最近、夫人を亡くした友人が、俄かにガクッと老けてしまった。電話の声が何とも暗く力がない。よく笑う奴だったのに笑わない。笑える話をしてやっても乗ってこない。声がもつれるし、活舌がよろしくない。歩くのに苦労し、ヨチヨチ歩きになったと嘆く。僕より10歳も若いのに、である。老いに突然捕捉され、クモの巣にかかったトンボのようである。娘さんに電話し、すぐに医者を呼ぶべきだと言った。こんな友人が周囲に突然急増し出した。
【倉本 聰:富良野風話】ニセコ・バブル
去年までは元気でまくし立てていた奴が、しばらく声をきかなくなったと思っていたら、いきなり急の訃報が届く。そんな現実が度重なると、もはやこっちもおどろかなくなる。そうか、死んだか、もうあいつとは逢えないのか。淋しさに馴れて段々麻痺してくる。電話帳から彼の名を消す。そういう麻痺感が時々フッと恐くなるが、なにこっちの頭も体力も気づけば相当に呆けてきており、一寸やそっとでは勘が動かなくなってきている。
今年、女房は90歳を迎え、僕もこの暮れにはその年を迎える。置いてかないでよ、と突然言われ、ドキッと現実に引き戻されることがあるが、さてどうなるのか。なってみなければ判らない。幸か不幸か首から下はがっくり衰えたが、まだ頭だけははっきりしているから残す奴のことを考えねばと無駄なことをフッと考えていたりする。地球はこの先どうなるのだろうか。日本はどこへ向かうのだろうか。
バイデンさんの老けが気になる。トランプさんの元気が気になる。地球環境の行く末が気になる。
この先の日本の地図が気になる。
そんなことを考えてもどうにもならない。
地球がゆっくり宇宙の中で、自転しながら動いている以上、何が起こるかは一切判らない。いつまで地球は動いていられるのか。その球体の上で人類という怪物は次にどのような椿事をおこすのか。それは良い方への椿事であるのか。それとも破滅への椿事であるのか。
何年か前に富良野に墓地を買い、死後の設計をゆっくり始めている。眠れない夜にその詳細を図面におこしながら、ふと苦笑している自分に気づく。こんなことを真面目に考えながら、一体その墓に何人の知り合いが果たして詣ってくれるのだろう。僕という人間が存在したということを覚えてくれている人がまだいるのだろうか。こんな生前の記憶を残したって、それを世話するものの重荷になるだけの話じゃあるまいか。
そういえば今年、佐渡の古刹に残されていた何百年かに及ぶ母方の古い墓地の墓じまいをした。中に眠っている何世代かの御先祖の、一人として僕はその顔を知らない。結構金がかかったが、何となく気持ちがすっきりとした。あんな想いを誰かがまたするのか。
近づいてくる死の足音がきこえる。
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