「血判を押すとき、そばの女性が指先を切り…」徳川宗家当主が磯田道史と語る家康の“女性観”
CREA WEB / 2024年2月29日 6時0分
磯田道史が「私一人ではわからない日本史の謎」について、その道の達人と日本史の論賛をした対話集が『磯田道史と日本史を語ろう』だ。磯田さんが「読者諸氏と、この至福の時間の雰囲気を、この書物でともにしたい」と話す同書より、徳川宗家第19代当主と、家康の生き残り戦略、組織作り、人生観を語り合った対談の一部を抜粋して紹介する。
家康の女性観とは?
徳川 そもそも家康の人生は、どん底からのスタートでしたね。母・於大(おだい)と三歳で生き別れ、父・広忠とは八歳で死別しています。
磯田 家臣たちからの信頼は厚かったものの、家庭の面では大変に苦労しましたね。家康は、今川家での人質時代に今川の親戚である築山(つきやま)殿(瀬名)を正室とします。大河ドラマでは有村架純さんが演じていますが、織田との同盟によって、彼女との関係は修復不可能になってしまいます。
徳川 この経験が辛すぎたのか、家康にはその後、色恋の匂いがあまりしない。そこが今回の大河では盛り上がりに欠けるのではないかと心配しています(笑)。
磯田 どうなりますかね(笑)。
徳川 今回の大河では母・於大がとても強くて、今風でしたね。家康と女性との関係では、秀吉の正室だった北政所と仲が良かったと言われることがありますけど、あれは政治的な関係に過ぎないですし。家康の女性観については、むしろ磯田さんにお伺いしたいところです。
磯田 若き日、妻子と過ごした駿河での幸せな時間は、ずっと死ぬまで想っていたと思います。その後の家康は、新しい占領地のお嬢さんを次々と側室にします。それも、確実に子どもが欲しいから、出産経験のある女性をしばしば選ぶ。彼女たちから新しい占領地の内情を聞き出す目的もあったのでしょう。とにかく、女性の選び方が実利的になっていきました。
徳川 政治や家が優先されて、本人の女性の好みは全然見えてこないですね。
磯田 それでも、気働きのある女性は好きだったようです。関ヶ原の合戦のとき、家康が「鎧を着る」となったら周りの女性たちが気配を察し合って、さっと鎧を着せたという目撃談が、家康の侍医・板坂卜斎の記録に残っています。家康が血判を押すときには、そばにいる女性が自分の指先を切り、その滴った血を使っていたという俗説もある。真偽はともかく、そんな噂が出るほど、家康は女性にとっても「この人になにかしてあげたい」と思わせる殿様だったのでしょう。
強みは「好奇心」
磯田 ここまで家康の人物像について話してきましたが、さらに「弱い家康」がなぜ天下人になれたのかについて考えたいと思います。
私は、キーワードの一つは「好奇心」だと思います。保守的なイメージのある家康ですが、実は好奇心がすごい。さらにその好奇心を、しっかり自分のために活用できたから滅びなかった。
例えば、天正2(1574)年、浜松の浜辺に明の船が漂着したことがありました。これを聞きつけた家康は、船に乗っていた中国人をすぐに呼び寄せ、銭と糸の貿易を始めた。家康が武田軍に三方ヶ原の戦いで大敗を喫して、まだ一年ちょっとしか経っていない時期です。中国人は、浜松で当時の先端医療を広めました。家康自身、背中にできた瘤(こぶ)を外科的に切除しています。諸説ありますが、執刀医は中国人だとする史料も残っています。
「ミカンなら俺のところにもある」とマウント
徳川 まったく保守的ではないですよね。それから、応仁の乱以前の日本は、海外との貿易に熱心でしたが、戦国時代に突入すると規模が縮小してしまう。家康は、その復興に目を向けていましたね。
磯田 ほかの戦国武将と比べても、各段に視野が広かった。家康に京都から「九年母(くねんぼ)」というミカンが送られてきた時のエピソードも興味深いです。「九年母」は、沖縄よりも南側で作られた、当時最高級の果物です。家康はこの貴重なミカンを、関東の北条氏直に届けました。外交用として使ったのです。すると「九年母」を知らない氏直は伊豆半島も全部支配下に置いているから「ミカンなら俺のところにもある」と、領地で穫れた普通のミカンを家康に送り返し、“ミカンマウント”を取ってきた。当時のミカンは、品種改良されていないから、すごく酸っぱいんですが。
徳川 それは面白い。
磯田 そのミカンを受け取った家康は、氏直は若いにしても家老たちは大丈夫なのかという意味で「粗忽」と書いています。要するに「北条も長くは続かないだろう」と。好奇心が強くない家は滅ぶんです。実際、その後すぐに、北条氏は秀吉と家康によって倒されます。
その他にも、家康が鉛筆や時計、さらに眼鏡も使っていた、という話が残っていますが全て事実。強い好奇心から、世界中で最も良いもの、役に立つものを探して、自分の力を高めることができたのが家康の面白さです。
徳川 まったく同感ですね。信長や秀吉も好奇心が強いイメージですが、家康の場合は、好奇心がある上に周りの人の言うことをよく聞くんですよ。最初の活版印刷だって家康がやっていますよね。イエズス会の宣教師や朝鮮からもたらされた技術を使って、活字印刷をすすめ、多くの書物を出版しています。ただ、漢文を読める人が少ない時代ですから、あまり需要はなかったようですが。
磯田 先見の明がありすぎたんですね(笑)。日本に漂着してきたイギリス人航海士の三浦按針には、関ヶ原の合戦を用意している時期に「お前が乗ってきた西洋帆船のミニチュアを作れ」と命じている。彼には「北方航路を開発しろ」とも命じていますね。まだ北米大陸の形もはっきり分かっていなかった時代に「北方の海を越えればヨーロッパに行けるかもしれん」と家康は言っている。凄まじいことです。
置かれたところで咲くことができた理由
徳川 保守的でないから「気付き」もある。「関東平野と東北地方を開拓すれば、外に攻めていかなくてもいいんじゃないか」と気付くことが出来たのも家康。これは信長や秀吉と決定的に違います。
当時の江戸は、京都からは「蛮夷(ばんい)のすむような僻遠(へきえん)の土地」と認識されていましたから。それでも家康は東国の可能性に気付いていたから、江戸に入ることにも前向きだった。
磯田 「徳川四天王」の一人、本多忠勝あたりは、「あんなところに行ったら、天下を争えなくなる。左遷だ」と相当に不平を漏らしたようですね。でも、『置かれた場所で咲きなさい』というベストセラー本がありましたが、家康が東国でやったことはまさにこれ。中世前期は、ほったらかしの農業も多かった。土地が痩せると、別の田んぼや畑を耕し、そこが水害にあったら、また他の田畑へ移る感じです。一方、家康は与えられた東国で治水をやり、運河を掘り、田畑を開発して、生産を高めていった。そうやって置かれたところで咲くことができた。
徳川 そこで鍵になったのが、旧武田の家臣団でした。彼らは、甲信の山奥で大規模な土木事業を行なってきた経験があるので、それを関東でも活かすことができた。この役割は大きかったはずです。
磯田 軍事力の側面でも、江戸を選んだのは合理的でした。江戸に行く前の徳川の石高は、だいたい150万石。江戸に行けば、そこに100万石が加わることになり、これは非常にありがたい。250万石というと、当時の「百石四人役(ひゃっこくよにんやく)」で動員できる兵力で言えば10万に達します。かりに国元に2万の兵を置いておくとしても、8万で外に攻めていける。当時としては非常に強力で、その規模の兵力を持てば滅ぼされることはない。
徳川 家康が保守的で、東海地方にこだわって留まっていたとしたら、関東には豊臣家に忠実な家臣が入っていたかもしれない。となると、家康は東と西の両側から挟み撃ちにされてしまう。東国に行くことで、生存の確率がグンと高まったわけです。
磯田 好奇心旺盛で、保守的でない家康らしい気付きですね。
徳川家広
1965年生まれ。徳川宗家19代目当主。徳川記念財団理事長。慶應大学卒業後、ミシガン大、コロンビア大の大学院で修士号取得。著書に『自分を守る経済学』、訳書に『ソロスは警告する』ほか多数。
磯田道史
1970年岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。国際日本文化研究センター教授。著書に『徳川家康 弱者の戦略』『感染症の日本史』(ともに文春新書)、『無私の日本人』(文春文庫)、『日本史を暴く』(中公新書)、『武士の家計簿』(新潮新書)、『近世大名家臣団の社会構造』(文春学藝ライブラリー)など多数。
(初出:「徳川家康を暴く 」『文藝春秋』2023年4月号)
文=磯田道史
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