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平成22年の年賀状「明治の日本、戦後高度成長の日本」・「場所と私、人生の時の流れ、思いがけない喜び」・「紅茶と結石と年賀状」

Japan In-depth / 2023年8月16日 23時0分

広島の実家を出て以来、私は住む場所に苦労と悩みを抱えてばかりいた。





「そんな僅かな金で高望みしても、そいつは無理ってものだよ」と、何軒も回った街の不動産屋さんの一人は、やさしく諭してくれた。しかし、東大に合格しなくてはならない、そのためには今の相部屋の浪人寮にいるわけには行かない、と言って父親を説得した身には、それ以上を望むことは叶うはずもなかった。





6畳の木賃アパートで、私は上の階の人がテレビだったかを大きな音でかけていたのに苦情を言いに行ったことがある。「済みません、音量を小さくしていただけませんか」と頼んだ大学生に、相手の青年は「なにを言っているんだ」と取り付く島もなかった。当然のことだろう。私もそれで事態が変わると思っての事ではなかった。





だから雨の日は嬉しかった。雨戸を閉め、読書に精を出す。





ときどき隣の睦言が聞こえてくることもあった。隣にはNという若い夫婦が小さな「はやと」君という名の子どもと3人で住んでいた。壁一枚向こうには、その家族の生活があった。





要町のマンションに移ってからは、音で悩むことはほとんど無くなった。夜中、真っ暗な部屋に、司法試験の勉強のための合宿から独り帰ってきたことを思いだす。法律相談所と言うサークルの有志10数人と夏の戸隠高原に行ってきたのだった。





さすがにもう遠いとおい日の思い出でしかない。今だけでも十分に忙しいのだ。懐旧の情に浸っている心の余裕はない。





それでも、石原裕次郎の歌う「粋な別れ」をラジオで聴いて素敵だと思い、LPのアルバムを買ったのもあそこでのことだったと覚えている。広島から手に持ってきたワインレッドの7インチのソニー製白黒テレビで『氾濫』という映画を観た。自分は畳に寝そべりテレビを横にしてみた。それから伊藤整を何冊も読んだのだった。





私はその住居のベランダから地面を見下ろし、雨が下へ落ちてゆくものだと感得した。





何年住んでいたのか。私はそこで司法試験の勉強をし、司法試験を受け、落ち、再度受け、合格した。合格発表は私の25歳の誕生日だった。





そうなると、そこから引っ越した先は横浜市瀬谷区の友人の一戸建てだったことになる。故郷熊本で実務修習を受ける友人が、その間、親切にも貸してくれたのである。





豊臣秀吉の辞世の歌、「露と起き 露と消えにしわが命 なにわのことも夢のまた夢」を思うことがある。





太閤秀吉にしてこれ。人の生とはそういうものなのだろう。





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