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日本では出版されなかった日系ブラジル人の「デカセギ文学」が教えてくれること

ニューズウィーク日本版 / 2023年12月27日 13時0分

ポルトガル語でde cá seguiは「ここから(何かを)追って出発した」と直訳できるが、それをデカセギという言葉に引っ掛けて、「ここから夢を追って出発した」というタイトルになっている。

著者のSilvio Sam(シルヴィオ・サム)はブラジルの日系コミュニティにおいても日本曲のポルトガル語歌詞の作詞家としてよく知られる多才な表現者である。彼はもともとデカセギ経験の回想録を書こうと考えたが、小説に仕立てたほうがより広く読まれるだろうと思ったという。

『ソーニョス』は日系ブラジル人男性ペドロとブラジルに移住した日本人女性のミエコ、そして夫婦の間に生まれた2人の子供の4人家族がブラジルから日本にデカセギに向かう物語である。これはまさに日本人女性と結婚しているサムの実体験と重なる。

もう1人の重要な登場人物であるセザールは、デカセギ者を雇用する人材派遣会社の通訳兼世話役である。在日ブラジル人の間では、この仕事をする人々はtantosha(担当者)と呼ばれ、しばしば企業側の利益ばかりを優先してデカセギ者を見捨てる人々として批判の的となる。

「担当者」はまさにサムが日本の企業で実際に担った役職である。「私は時にはペドロ、時にはセザールの身になって執筆した」と著者は冗談交じりに解説するが、物語を支配するのはまぎれもなく弱者の視点、工場労働者として悪戦苦闘するペドロの視点である。

初版の巻頭には、"O dekassegui se aquece ao stove, supondo-o lareira"「デカセギ者はストーブで温まる、暖炉を想像しながら」という俳句がページの真ん中に、そして同じページの右下に次のような読者へのメッセージが綴られていた。

「デカセギ者と元デカセギ者、さらにはある日、夢を追ってここから外国に向かった全てのブラジル人へ。本来なら生まれた国にいながら果たされるべき夢を」

物語では頻繁にオリジナル曲が登場するが、中でも目を引くのは「Dekokôssegui」「デココセーギ」という曲である。kokôの発音(cocô)は、ポルトガル語で大便を意味する。デカセギ体験を他でもない「ウンコ」に喩えているのである。その歌詞を邦訳すれば、次のようになる。

「(ウンコ)コ、コ、コ、コ、コ、コ......
やっと気分がよくなった、下すことかできたので。
でも告白しよう、一分前は、泣いてしまった。
日本での就労に対するぼくの想いはといえば、
力を入れすぎて、臭くなって、手を汚す。
そして、あの冷や飯で我慢しなければならない。
母ちゃんがいつも作ってくれていたあの料理が
なんと懐かしいことか。
だから、ブラジルに戻りたい。そして、全てをアソコに放り投げたい...」

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