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【江戸東京博物館】企画展「和宮 江戸へ -ふれた品物 みた世界-」開催のお知らせ

PR TIMES / 2020年12月3日 12時45分

 江戸時代において、将軍および将軍世子の正室は、3代徳川家光の正室孝子以降、宮家・摂家などから迎えるのが習わしでした。そのなかでも異例だったのは、皇女との婚姻です。仁孝天皇の皇女で孝明天皇の皇妹和宮は、14代家茂の正室として降嫁しています。このように、将軍の正室の多くは公家社会の出身で、彼女たちを介して京都の宮廷文化が江戸城の奥に浸透しました。
 和宮は、大奥における生活習慣を武家風と御所風の和合に努めた人物です。では、その和宮は江戸城において何を見て、どのようなものに触れ、いかなる暮らしをしていたのでしょうか。
 本展覧会では、徳川宗家に伝来する和宮が使用した調度品をはじめ、孝明天皇から和宮が拝領した銀製品、和宮直筆の和歌や消息などを中心に、東京都江戸東京博物館所蔵品を加え、和宮が実際に見たり触れたりした様々な作品を展示します。これらの作品を通して、和宮の内面や暮らしぶりを感じていただきたいです。



【1.会期】
令和3年1月2日(土)~2月23日(火・祝)  
開館時間:午前9時30分~午後5時30分 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:1月12日(火)・25日(月)、2月1日(月)・8日(月)・15日(月)・22日(月)
※会期中に一部の資料の展示替えがあります。
※新型コロナウイルス感染症の状況によって、会期・開催時間・観覧料・各種割引サービスを変更する場合がございます。最新の情報は当館のホームページでご確認のうえ、ご来館ください。

【2.会場】
東京都江戸東京博物館 常設展示室内 5F企画展示室

【3.観覧料】企画展は常設展観覧料でご覧になれます
一般 600円(480円)/大学・専門学校生 480円(380円)/中学生(都外)・高校生・65歳以上 300円(240円)/中学生(都内)・小学生以下無料
※( )内は20人以上の団体料金。消費税込。

【4.主催等】
東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、公益財団法人徳川記念財団

【5.展示構成および主な資料】
■プロローグ
 江戸時代において、将軍および将軍世子の正室は、3代徳川家光の正室孝子以降、宮家・摂家などから迎えるのが習わしだった。そのなかでも異例だったのは、皇女との婚姻である。霊元天皇の皇女八十宮は7代家継の婚約者となり、仁孝天皇の皇女で孝明天皇の皇妹和宮は14代家茂の正室となった。このように将軍の正室の多くは公家社会の出身で、彼女たちを介して京都の宮廷文化が江戸城の奥に浸透していくのであった。
 とくに和宮は、大奥における生活習慣を武家風と御所風の和合に努めた人物である。では、和宮は江戸城において、何を目にし、どのようなものに触れ、いかなる暮らしをしていたのだろうか。


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■第1章 決意の下向
 和宮は、弘化3年(1846)閏5月10日に仁孝天皇と典侍の橋本経子との間に第8皇女として生まれた。仁孝天皇が和宮の出生を待たずに崩御したため、父親との対面は叶わなかった。「和宮」という名は、兄の孝明天皇が命名したものである。外祖父で公卿の橋本実久のもとで養育され、4歳の時に孝明天皇の命により有栖川宮熾仁親王と婚約した。
 安政5年(1858)6月に日米修好通商条約が調印されると、尊王攘夷運動が過熱した。大老井伊直弼は尊攘派を弾圧したが、桜田門外で暗殺され、幕府の権威は失墜した。こうした中で、朝廷の伝統的権威と結びつくことによって動揺を続ける幕藩体制を建て直そうとする公武合体論が台頭する。
 幕府は、公武合体論を進めるために和宮の14代将軍徳川家茂への降嫁を奏請し、孝明天皇の要望をいれて「鎖国」の復旧を誓約したため、これが許された。和宮は降嫁を拒否したが、有栖川宮との婚約は破棄され、文久元年 (1861) 年10月に江戸へ下った。そして、翌年2月に盛大な婚儀があげられた。
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■第2章 背の君 徳川家茂
 背の君、徳川家茂は、弘化3年(1846)閏5月24日に御三家の11代紀伊藩主徳川斉順の長男として生まれた。13歳の時に13代将軍家定の継嗣に選定されて江戸城に入り、安政5年(1858)10月25日に14代将軍となった。将軍就任時は、西欧列強の対外的圧力や尊王攘夷運動の激化など内憂外患の情勢で、公武合体や幕政改革をもとに難局を打開することが求められた。
 和宮と家茂の結婚生活は、文久2年(1862)2月の挙式より家茂が慶応2年(1866)7月に21歳で早世するまでのわずか4年あまりだった。家茂は公武合体を目指し、将軍としては3代家光以来となる上洛を果たしたが、家茂の3度にわたる上洛は2人の結婚生活をさらに短くした。
 和宮と家茂の仲は睦まじく、和歌やかんざしなどを贈りあった。家茂が上洛した際は、和宮は夫を案じて家茂の産土神である氷川神社に祈祷を命じ、自らは増上寺の黒本尊にお百度を踏んだ。また夫婦間での手紙のやり取りを欠かさなかった。和宮と家茂の縁組は、公武合体を実現させるための政略結婚であったが、ともに17歳の若い夫婦はその意義を理解し、誠実な態度でお互いを思いやっていたのである。
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■第3章 調えられた品々
 和宮はどのような暮らしをしていたのだろうか。それを知るうえでは、彼女が実際に使用した調度品などがその手がかりとなる。和宮の調度品としては、降嫁の折に京都で用意された婚礼道具がおびただしい数にのぼるという。中山道を下った和宮の行列とは別に、婚礼道具は東海道を17日間かけて江戸まで運ばれた。一方で、和宮を迎える幕府側でも婚礼道具が誂えられた。
 和宮は、公武合体のために京都から江戸へ嫁ぎ、大奥において御所風と武家風のそれぞれの生活様式を和合させた。いわば名実ともに朝廷と幕府の懸け橋の役目を担ったのである。
 ここでは、和宮が実際に用いた婚礼調度や大奥での交流がわかる消息などを見ていきたい。
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■エピローグ
 夫に先立たれた和宮は、江戸城にとどまり、薙髪して静寛院宮と名のった。慶応4年(1868)正月から始まった戊辰戦争では、13代家定正室の天璋院とともに徳川家存続のために奔走し、江戸無血開城に尽力した。江戸開城が実現した後は北の丸の清水邸に移り、明治2年(1869)正月には京都へ戻って5年間滞在した。そして、夫の墳墓の地を終の住まいにすることを決心して再び東京に帰った。その後の和宮は、歌道や雅楽など文芸の道に勤しみ、皇室、徳川家一門とともに親交を密にして平穏な生活を送り、晩年は持病の治療のために箱根塔ノ沢温泉で過ごした。
 小柄で病弱な和宮は、本人の意思ではさからいようのない皇女という生まれ育ちの中で、激動の幕末維新期を生き抜いた。彼女は自身の境遇をどのように考えていたのだろうか。
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【6.関連イベント・その他】
ミュージアム・トーク(展覧会見どころ解説)
・日時:1月8日(金)・15日(金)・29日(金)、2月12日(金) 各回とも午後4時から15分程度
・集合場所:常設展示室内5F企画展示室
・参加料:無料(常設展観覧料は別途必要)

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