2023年5月14日、幌加内町の朱鞠内湖で、釣人(男性)が襲われ死亡する熊害事故が発生した。翌日、地元猟友会によって加害グマは駆除されたが、胃の中からは被害者男性と思われる肉片と骨片が見つかっている。
死亡例としては今年で2例目、被害事例は3例目だ。朱鞠内湖は奥深い森の中に位置し、無数のフィッシングポイントがあることで知られ、釣人憧れの地でもある。そこで起きた凄惨なこの事故は、道民を震撼させた。
ヒグマは本来は「人を避けてくれる」はずなのに…胃の中からは男性と思われる肉片と骨片。アジアで唯一、クマが増えている日本で『バッタリ遭遇』を避けるためには
集英社オンライン / 2023年8月3日 15時1分
北海道に棲息する野生大型動物の頂点に君臨するヒグマ。本来は「奥山」と呼ばれる生息地で暮らしているはずの彼らが、最近連日のように人里や市街地に出没、世間を騒がせている。道民と共存するヒグマの生態とは? もしも遭遇した場合の対処法など各方面の関係者に聞いてみた。
新たな衝撃を与えた朱鞠内湖の死亡事故
一方、北海道一の大都市・札幌でも連日のように市街地周辺にヒグマが出没し、その数は過去最多ペースで増加中だという。
札幌市でヒグマ対策にあたる環境共生課熊対策調整担当係長の清尾さんに伺うと、「住宅街の拡大や、農家の廃業などで緩衝地帯が機能しなくなり、山からいきなり市街地へと、ヒグマがぽっと入ってきてしまう状況があちらこちらで起きています。出没対応は委託する外部の環境保全団体とともに行っており、市民の方々にはまず雑草や放棄果樹の伐採、電気柵の設置などを呼びかけ、お願いしているところです」
北海道では「北海道ヒグマ管理計画(2022(令和4)年~2027(令和9)年」を策定。自然環境局野生動物対策課ヒグマ対策室では、昨年度「ヒグマ緊急時専門人材派遣事業」を立ち上げ、ヒグマの専門人材の登録と派遣という新たな取り組みをスタートさせている。朱鞠内湖の事故も、この仕組みを使って専門家が速やかに現地に派遣された。
「かつて専門家の間では、ヒグマは全道に3000頭いると言われて久しかったのですが、現在はもっといると思われます。道が発表している1万1700頭(2020年度)という数は、個体数算出の精度があまりよくないのです。全道にどれくらいのヒグマがいるのかは、正確にはわかっていません」と語るのは、40年以上クマの研究を行ってきた北海道大学の坪田敏男教授だ。
1990(平成2)年、動物愛護の観点からハンターによる春熊駆除(穴の中で冬眠中の個体や親子グマを狙う)が禁止になって以来、33年。その数が増えてきたことは事実で、しかも猟で追われなくなったヒグマは人を怖がらなくなっているともいわれている。
一度禁止にした春熊駆除だが、個体数増加により、道は「人里出没抑制等のための春期管理捕獲」という呼び名のもと、ヒグマ管理計画の対象地域で春熊駆除を条件つきで再開。自治体によっては実施している。
ヒグマはそこにいる。自然の中では「バッタリ遭遇」を避けるような行動を
さてヒグマの生態はというと、その寿命は30年前後といわれ、オスの成獣で200㎏前後、最大で500㎏を超える個体もいる、日本でもっとも大きい陸の動物だ。
行動範囲はメスよりもオスのほうがかなり広範囲で、嗅覚は犬の6倍。匂いを頼りに季節の食べ物を探して歩き、食性は植物質に偏った雑食。山菜、木の芽や実のほかアリやハチなどの昆虫、山中でシカなど動物が死んでいれば積極的に食べる。川に遡上するサケマスも食べるが、河口で人が捕獲してしまうので、それにありつけるヒグマは知床など限られたエリアだという。
「ヒグマはもともと慎重で臆病。人を避けてくれる動物です。クマ研究者の常識としては、ほとんどが『人を避けるクマ』です。しかし、朱鞠内湖の事例のような個体は人を避けない『ヤバいクマ』。こうした人を避けないクマは稀にいます。ヒグマは大型で力が強いので、状況によっては遭遇すると彼らも驚いて威嚇攻撃をしかけてくるので、死亡事故になる確率も高くなる。そのような問題個体は、一刻も早く駆除しなければなりません」(坪田教授)
北海道も含めて全国的にこれから本格的な夏のレジャーシーズン。キャンプ場や付近の森などに入った場合、そこに必ずクマはいると意識することは大切だ。
坪田教授は続ける。「7~9月は餌資源が乏しく、ヒグマが痩せ細る時期。しかしそれが彼らの年周期なので、特別いつもよりも危険ということではないです。通常、活動時間帯は〝薄明薄暮型〟といわれているので、明け方と日暮れ時にはとくに気をつける。山中など見通しの悪い場所、藪の中などにヒグマが隠れていることを常に想定し、クマ鈴や声出し、手をたたくなど、先に人の存在を知らせる工夫をして『バッタリ遭遇』を避けることが基本です」
もしもヒグマと「バッタリ遭遇」してしまった場合。その場の状況やヒグマの出方によって対処法はさまざまで正解はないが、まずは落ち着いてクマの様子を見ながら、背中を向けずにあとずさりし、ゆっくりと距離を離すこと。背中を向けて逃げるとヒグマは素早く動くものに反応するうえに、弱者は倒せると思いこんで背後から襲ってくる可能性がある。
例えば威嚇突進攻撃(ブラフチャージ)をしてきても、クマは臆病なので直前で踵を返すことが多い。しかし本当に襲ってきて逃げきれない場合は、こちらも強気で威嚇すること。もし、クマ撃退スプレーを携帯していたら5~6mの射程距離で鼻先めがけて噴射する。最終的には腹ばいになって頭・顔を守り、首の後ろを手で守る防御姿勢をとってケガを最小限に食い止めたい。
アウトドアでは何よりも食料とゴミの管理をしっかりと行うこと
「ヒグマの棲みか」と呼ばれる知床半島は、道内屈指のヒグマ密集地帯。1988年の設立以来、野生生物の保護管理・調査研究、森づくりなどを行ってきた知床財団に電話取材を申し込んだ。その際、当日だけで目撃数は8件。「ヒグマが現れたというよりも、そもそも山頂から海岸線までヒグマのいるところですからね」と、スタッフの新庄さんは語る。
斜里町や羅臼町の野営場、オートキャンプ場などの施設は、敷地全体を電気柵で囲いクマ対策を行っている。しかしそれでも、キャンプ場のほか登山道などでは注意が必要だ。
やってはいけないことの筆頭は、食料の管理不徹底。テント内や外に食料を置かない、テント内で調理や食事をしない。調理や食事はテントからできれば100m以上離す、ゴミや食べ残しなどの匂いでヒグマを誘引しない、などのルール徹底を呼びかけている。
登山道の野営場には、食料保管庫が数カ所設置されており、また、財団ではフードコンテナの貸し出しや、いざというときのために、20分の事前レクチャーを条件に、クマ撃退スプレーのレンタル(※18歳以上、写真付き身分証明書必要)も行うなどの積み重ねもあり、ここ30数年、観光客・レジャー客に限ってはクマの目立った遭遇事故は起きていない。
テント泊による過去の悲惨な事件としては、1979(昭和45)年、7月に日高山系で起きた「福岡大学ワンダーフォーゲル部襲撃事件」があまりにも有名だ。最初のきっかけは、テントの外に食料を入れたザックをヒグマに奪われたことから。その後3日にわたって同じヒグマに執拗に追われながら6回の襲撃を受け、部員5名のうち3名が死亡した。
坪田教授は、一般の人がレジャーに出かける際「ヒグマの棲息地に積極的に入っていくんだ」という心構えと準備を忘れないでほしいと語る。「その場所や施設周辺の情報を事前にキャッチして、出没状況によっては思い切って中止も検討してください」(坪田教授)
ほとんどの場合、ヒグマは「人を避けてくれる」。しかし「重大事故」は低い確率とはいえ起きる。6月12日、札幌市の男性がニセコ町の山にタケノコを採りに入ったまま行方不明に。ヒグマによる事故ではないかと言われている。
また、道東・標茶町周辺では6月24日、このエリアに4年前からたびたび出没し、乳牛を66頭も襲ったのち、駆除されないまま沈黙を保っていた巨大グマ・OSO18が姿を現した。新たに乳牛1頭が殺され、酪農関係者らの深刻さはさらに増すことになった。6月25日には、標茶町の町有林内に仕掛けられたセンサーカメラにその姿が写っていた。OSO18がカラー写真に捕らえられたのは、これが初めてのことだった。
人よりも先に「北海道の住人」であったヒグマ。アイヌ先住民が「キムンカムイ=山の神」として畏敬の念を持ち続けたヒグマとの共存は、困難に直面している。
文/兼子梨花 編集/風来堂
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