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冷戦が「欧州中心の近代科学史」をもたらした理由 政治的に都合良く語られてきた科学発展の歴史

東洋経済オンライン / 2023年12月12日 10時0分

そして中国のもう一つの成果とともに式は華々しく幕を閉じた。宋時代の火薬の発明を讃えて、鳥の巣スタジアムの上空に花火が上がったのだ。

しかしこの開会式では、中国が貢献したそれ以降の数々の科学的ブレークスルー、たとえば18世紀の博物学や20世紀の量子力学の発展についてはほとんど取り上げられなかった。

中東にも同じことが当てはまる。2016年にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、イスタンブールで開催されたトルコ・アラブ高等教育会議で講演をおこなった。その中で、「イスラム文明の黄金時代といえるのは、イスラムの各都市が科学の中心地だった中世である」と唱えた。

しかしどうやらエルドアンは、今日のトルコに暮らしている人を含め、大勢のイスラム教徒が近代科学の発展にも同じくらい貢献していることを知らなかったらしい。16世紀のイスタンブールにおける天文学から20世紀のカイロにおけるヒト遺伝学まで、イスラム世界の科学の進歩は中世の「黄金時代」よりずっと後まで続いているのだ。

このようなストーリーがこれほど広く信じられているのはなぜだろう? 多くの作り話と同じく、近代科学がヨーロッパで発明されたという考え方も、偶然に生まれたものではない。

20世紀半ばにイギリスやアメリカ合衆国の歴史家たちが、『近代科学の起源』といったようなタイトルの本を世に出しはじめた。彼らはほぼ例外なく、近代科学と近代文明は16世紀頃にヨーロッパで生まれたと信じ切っていた。

ケンブリッジ大学の著名な歴史家ハーバート・バターフィールドも1949年に、「科学革命は西洋の創造的産物とみなすべきである」と述べている。

同様の見方は大西洋の対岸でも示された。1950年代にイェール大学の学生たちは、「西洋は自然科学を生み出したが東洋は生み出さなかった」と教えられたし、世界一の権威を持つ科学雑誌『サイエンス』は「西ヨーロッパの少数の国々が近代科学の生家となった」と論じた。

冷戦期に利用された作り話

このような主張の政治的意図はこの上なく明らかだ。彼ら歴史家が生きたのは、資本主義と共産主義の対立が世界政治を支配していた冷戦初期である。彼らは東洋と西洋をはっきりと区別した上で現代の世界を見つめ、意図的かどうかは別としてその区別を過去にまで延長した。

当時、とりわけ1957年10月にソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げて以降、科学技術は政治的成功の証しであると広くみなされていた。

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