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「不採用を一転、年金局に配属」あきらめの悪い男 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#1

東洋経済オンライン / 2024年4月15日 9時0分

この歳の離れた二人がほぼ同時期に亡くなり、同じ増上寺で弔われたのも、年金の一つの時代の終焉を暗示しているかのようだった。

これが「本省」なのか

1960年1月6日水曜日朝、東京・霞が関の空は澄み渡り、身が引き締まる寒さである。古川貞二郎が、憧れの厚生省に初登庁するのにふさわしい天候であった。

上京したのは2日前。1月3日に佐賀を発ち、寝台急行「雲仙」で翌4日、国鉄品川駅に着いた。入省が急遽決まったため、住まいはまだ決めておらず、当面は北品川の長崎県寮に身を寄せることにしていた。

この日、古川はブロー型眼鏡をかけ、髪を七三にきっちり分け、長崎市浜町の古着屋で買ったオーバーコートでめかし込んでいた。都電品川駅から路面電車に揺られて日比谷駅で下車し、厚生省に向かう。

だが目の前に現れた建物を見て、古川は茫然とした。

これが「本省」なのか──。

国家を動かしているにしては、何とも頼りない外観であった。

現在、厚生労働省と環境省が入る中央合同庁舎5号館付近は、戦前、海軍省の敷地だった。海軍省本館は霞が関三大美建築と称えられたが、1945年5月の東京大空襲により、新館、海軍大臣官邸とともに焼失してしまう。ただし日比谷公園に面した煉瓦造りの重厚な建物は残った。終戦後、廃止された海軍省に代わって入居したのが厚生省である。

そこが手狭になり、中庭に、資料などを保管するための木造3階の建物が造られた。やがて1階に薬務局、2階に年金局が入って「仮庁舎」に。2階の床で水を撒いて掃除をしていると、1階の天井から水が滴り落ち、1階の職員が怒鳴りこんでくる……、そんなエピソードのある、当時としても安普請な建物だった。

仮庁舎2階にある年金局国民年金課が、古川の配属先であった。

階段を上がるたびにギシギシ鳴り、それが緊張を一層高めた。だから古川は、この時に若い女性とすれ違ったことを覚えていない。女性は、高校を出たての厚生省福祉年金課の臨時職員。二人が結婚するのは、その4年後のことである。

あきらめの悪い男

古川は25歳。新人にしては、回り道をしている。

佐賀県佐賀郡春日村の農家の長男として生まれた古川は、九州大学を志望。不合格となり佐賀大学文理学部に入学を果たすが、あきらめきれず、籍を置いたまま九州大学法学部を受験し、合格する。

就職は「両親のように一生懸命働いた人たちの老後は幸せであるべきだ」と厚生省を志望した。国家公務員上級職を受験するも失敗。まずは長崎県庁に入庁した。同時期、自治省採用で赴任してきたのが片山虎之助(後に総務大臣、日本維新の会共同代表)である。

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