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「不採用を一転、年金局に配属」あきらめの悪い男 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#1

東洋経済オンライン / 2024年4月15日 9時0分

古川はあきらめが悪かった。県庁から帰宅後に試験勉強を続け、翌年も国家公務員試験を受けるのだ。

今度は行政職10位の成績でパスした。だが面接試験のため佐賀から東京へ向かう時、不運に見舞われる。1959年9月26日、死者・行方不明者5000人を超えた伊勢湾台風が東海地方を直撃したのだ。

交通網は壊滅的となり、東京に辿り着くのに36時間かかった。食事も睡眠もろくにとっていない状態で、身体検査では身長172.5センチで体重はわずか49.5キロ。検査を担当した係官に驚かれたほどだ。

それも原因だったのだろう、面接が行われた日の夕方、厚生省内で不合格を告げられる。

だが、やはりあきらめが悪い。宿にしていた品川の長崎県寮に戻ったが、どうにも納得がいかない。そこで翌朝一番、古川は厚生省人事課長・尾崎重毅のもとを訪ねるのである。

古川は厚生行政に対する熱い想いをぶつけた。尾崎は心を動かされたのか、「君のような熱意のある人材がわが省に必要だ。上と相談するから、いったん長崎に帰っといてくれ」と答えた。だが、古川はテコでも動かない。長崎に帰れば、「精一杯やったがダメだった。来年がんばってくれ」と言ってくるのがオチと思ったのだ。

人事課長と言えども、独断で決められる話ではない。

「君の期待に必ずしも沿えないかもしれない。その時は変な事になるまいな」

尾崎は、古川が自殺でもするのではと案じたのだ。

「その心配は全くいりません。私は来年、また厚生省を受けに来ますが、国家試験に受かるかどうかわかりませんので、今年ぜひ採用してください」

古川はそう言い残し、厚生省を後にした。

やれるだけのことをやった、と古川は夕方、東京観光でもしようと考えた。東京駅から「はとバス」に乗ろうとする時、友人が走り寄ってきた。携帯電話のない時代、東京在住のその友人宅を古川は連絡先にしていた。

「厚生省から内定の連絡があったぞ」

古川は「逃げない、あきらめない、道は開ける」との信念を得たと、私の取材に振り返ったが、いまなら到底ありえない。「戦後」が色濃く残る混乱期で、霞が関も「何でもあり」の懐の深い時代だったということだろう。

岸信介と国民年金

不採用を一転させたのは誰か、当の古川もわからずじまいだ。ただ後に聞いたところでは、目をつけたのは年金局長・小山進次郎のようだった。小山の前職は国民年金準備委員会事務局長で、尾崎はその事務局次長を務めている。尾崎が、あまりに熱い想いを持った新人の存在を小山に伝え、小山の判断で預かろうと考えたのかもしれない。

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