登板させないで、とプロ野球監督に直訴した「記録の神様」…野球殿堂候補者・宇佐美徹也が見つめたスコアカード
読売新聞 / 2025年1月11日 20時13分
2025年の野球殿堂入り表彰者が1月16日に発表される。アマチュア野球関係者や審判員経験者、プロアマ問わず組織の発展に貢献した人などを対象にした「特別表彰」の候補者の一人、宇佐美徹也(1933~2009)をご存じだろうか。パ・リーグ記録部を経て、報知新聞社で「記録記者」という分野を切り開き、記録を切り口にプロ野球の面白さを伝え続けた人だ。「記録の神様」と呼ばれる一人でもある。
「記録をだましてはならない」に忠実だった
宇佐美は栃木県佐野市生まれ。県立佐野高校時代の同級生にノンフィクション作家の佐瀬稔(1932~98)がいる。手作りした野球ゲームに熱中したのをきっかけに野球記録への関心を深めた。1949年刊行の『野球大観』(旺文社)に載った、後のパ・リーグ記録部長
高校卒業後、繊維問屋で働いたが、東京転勤で後楽園球場へ通ううち、記録を仕事にしたいとの気持ちが抑えられなくなる。56年に山内を訪ねて弟子入りを志願。パ・リーグ記録部の集計係に採用された。
記録部では、山内に厳しく仕込まれた。56年時点のパ・リーグは8チームあり、ダブルヘッダーも珍しくない。コンピューターなどない時代、集計作業には、そろばんか手回しの計算機を使うしかなかった。宇佐美によれば打撃、投手、守備の三つに分けて計算し、どんなに頑張っても1試合につき1時間はかかったという。
作業を終えて一息ついていると、山内から「数字の引き合わせをするからこっちへ来い」と自宅へ呼び出される。照合作業で、午前3時頃までかかることはザラだった。とりわけ強く言われたのが、数字を大切に扱うことだった。山内の死の直後にこう書いている。
「人間は人間をだますけど記録は人間をだまさない。だから記録をだましてはならない」(報知新聞1972年6月5日付)
宇佐美はこの教えを忠実に守った。63年に7年余り勤めたパ・リーグ記録部を退職し、翌64年、報知新聞記者に転じる。当日の試合の中から面白い記録を取り上げる連載コラム「記録室」を任され、「記録記者」という分野を切り開いた。求められて新聞や雑誌に寄稿するうちに、集計よりも原稿を書くことの魅力に取りつかれたという。
記録の分析と話題をもとにしたコラムは大きな反響を呼んだ。著作に『プロ野球記録・奇録・きろく』『ON記録の世界』などがある。中でも77年に初版が刊行された『プロ野球記録大鑑』(講談社)は、記録事典と読み物の要素を兼ねた構成で、作家・井上ひさし(1934~2010)が絶賛した。
例えば、4試合連続無三振(1948年5月9~13日の大陽ロビンス)▼珍しい「全員5打数」(1947年11月2日の大阪タイガース)▼1日2球場で登板(1967年10月12日の広島・中村光哉投手)……。スコアカードを丹念に調べる中で“発掘”したエピソードが満載だ。
「ゲーリッグと内容が違うだろう」
後輩に対しては、師・山内の教えそのままに、数字を重んじる姿勢で臨んだ。73年に報知新聞に入社し、15年間にわたり宇佐美のもとで働いた蛭間豊章は随筆で、「原稿に関しては厳しくて、記録室の原稿を突き返されたことも何度もあった」と振り返っている。
特に印象深いのは84年、この年のセ・リーグMVPに輝いた広島の内野手・衣笠祥雄が14年連続全試合出場をマークした時のこと。蛭間は衣笠について、当時の米大リーグ記録であるルー・ゲーリッグの記録を抜いて世界一になった……と書いた。宇佐美はこの日は休み。当時の野球担当デスクに見てもらった原稿は、翌日の1面に掲載された。
「翌日、出社するなり、『何だこの原稿は。ゲーリッグと内容が違うだろう』。つまり数字の上では抜いたが、ほとんど先発出場したゲーリッグと打撃内容が違う。それに連続出場のために代打などでつないだ記録ということだった。記録に関して
稲尾の78登板は「日本プロ野球の宝もの」と監督に手紙
タイトルを取るためシーズン終盤を欠場するといった、作為的な記録を嫌い、中身の濃い記録を尊ぶ姿勢を貫いた。宇佐美にとって、中身の濃い記録の一つが、西鉄の“鉄腕”投手稲尾和久(1937~2007)が61年に打ち立てた「シーズン78登板」だった。
「78試合登板の内訳は先発30、リリーフ48。先発30の成績は、完投勝利21(うち完封7、敗戦3)先発途中降板勝利3(敗戦2)。リリーフの成績は18勝(9敗)だが、今でいうセーブに当たるリリーフが10あるから、実質的には西鉄81勝中52勝に貢献したことになる」(『プロ野球記録大鑑』)
ところが時代は移り、プロ野球の投手は分業化が進んだ。中継ぎ・抑え役の投手はどうしても登板回数が増える。そうして登板数が78に近づく投手が現れると、宇佐美は驚きの行動に出た。所属チームの監督に「登板させないでくれ」と手紙を書いたのだった。「読売ウイークリー」誌2003年2月23日号「手紙の中の日本人」に詳しい。
手紙を受け取った監督は3人。阪神の安藤統男と野村克也、広島の山本浩二だ。野村にあてた手紙で宇佐美はこう書いた。先発に救援にとフル回転し、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた稲尾の78登板は、「日本プロ野球の宝ものであり、何人もさわってはいけない記録であると思います」。
「数字の海に常夜灯ともしてくれた人」
もちろん中継ぎ・抑え投手の登板数増加は必然だし、作為的な記録ではない。宇佐美の行動には異論があるだろう。宇佐美も「いずれ稲尾の記録は破られる」と予想していた通り、シーズン登板記録は2005年に阪神・藤川球児が80で塗り替えた。現在の日本記録は2007年に阪神・久保田智之が残した90だ。
報知新聞に定年まで勤めた宇佐美は、日本野球機構コミッショナー事務局へ。BISデータ本部室長として、過去のプロ野球記録をデータ化するシステム作りの指揮を執った。
立場は変わっても一貫してプロ野球記録に携わった。1995年にはそんな自身の半生をこう振り返っている。
「転職した元同業の先輩たちからは、顔を合わせる度に『まだ飽きずにやってるの』などとひやかされるが、正直自分でも不思議なくらい、この仕事には飽きを感じない」(「文芸春秋」1995年4月号)
2009年に76歳で他界。読売新聞1面コラム「編集手帳」はその死をこう悼んだ。
「ページをめくるごとに、一つひとつの記録の背後から物語が浮かび上がる。数字の海に、生身の人間を照らす常夜灯をともしてくれた人である」
2024年のプロ野球も新たな日本記録が生まれた。例えば、楽天・辰己涼介選手による外野手のシーズン刺殺397。刺殺とは、打者または走者を直接アウトにすること。外野手の刺殺はフライやライナーの捕球とほぼ同じなので、数が多いほど守備範囲の広さを意味する。これまでの日本記録は、1リーグ時代の1948年に巨人・青田昇選手が残した391だったので、実に76年ぶりの更新ということになる。
宇佐美も山内とともに目を細め、スコアカードをめくりながら話し合っているのではないだろうか。(敬称略、デジタル編集部 室靖治)
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