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アニメーター木上益治さんの遺作絵本が35年の時を経てアニメになるまで

ASCII.jp / 2024年3月23日 15時0分

木上益治さんの絵本をアニメ化した制作スタジオ、エクラアニマルの作画監督・本多敏行さんにさまざまなエピソードをお聞きした

〈後編はこちら〉

幻の絵本が30数年の時を経てアニメ化

 2019年に起きた京都アニメーション放火事件で惜しくも帰らぬ人となったアニメーターの木上益治さん。1979年にシンエイ動画で活動をスタートし、その後あにまる屋に所属しながら『ドラえもん』の映画シリーズをはじめ、『AKIRA』『火垂るの墓』といった名作アニメに参加。

 1990年代以降は京都アニメーションの諸作品で腕を振るい、2000年代からの快進撃を支える。同社の取締役になった後も第一線で活躍するかたわら、若手の育成にも努めた。

 そんな木上さんが唯一描いた絵本『小さなジャムとゴブリンのオップ』が数十年の時を経てアニメ化する。制作はかつての仲間、本多敏行さんが所属するアニメスタジオ・エクラアニマル。

 今回は本多さんにアニメ化企画、そして木上さんをはじめ大塚康生・宮崎駿・芝山努・中村英一といったレジェンドと机を並べて筆を走らせた日々の貴重なエピソードを語っていただいた。

まつもと 木上益治さんの描いた絵本『小さなジャムとゴブリンのオップ』のアニメ制作が佳境だとお聞きしました。

本多 もともと、あの絵本はアニメ化するために作ったようなところがある作品なんです。

まつもと 事件を機に、ではなかったのですね。

本多 そうです。30年以上前からずっとアニメ化を考えていました。

 そもそもは、エクラアニマルの前身「あにまる屋」の社長だった真田芳房さんが亡くなったときに保険金を遺族の方に渡そうとしたところ、「そちらで何か良いことに使ってください」と全額寄付してくださったんです。そこで木上くんが、「じゃあ、アニメになりそうな絵本を作ろう」とアイデアを出してくれたことがきっかけです。

 実は8話分くらいのお話が当時すでに出来上がっていて、その第1話を絵本にしたのが『小さなジャムとゴブリンのオップ』なんです。第2話も色付きのイメージ画が残っていて、残りも作るつもりだったのですが、そのタイミングで木上くんは事情があって大阪の実家に帰ることになり、京都アニメーションへ入社することになったようです。

40~50代はみんな本多さんの絵を見て育った(はず!)

まつもと まずは本多さんの歩みからうかがいます。エクラアニマルの前身である、あにまる屋はシンエイ動画から独立したアニメスタジオで、本多さん自身もキャリアのスタートはシンエイ動画(当時はAプロダクション)と聞きました。

 シンエイ動画と言えば、藤子不二雄作品など子ども向けアニメのイメージが強いスタジオです。この前、学生に『怪物くん』のオープニングを見せていたら本多さんが作画監督でクレジットされていて、「あっ、ここにも本多さんがいる!」と驚きました。

 我々の世代は確実に本多さんの絵を見て育っているんですよ。夕方からゴールデンタイム、そして日曜の朝には常に藤子不二雄作品のアニメが放送されてましたから。

本多 私は藤本先生と我孫子先生(藤子不二雄=藤本弘・安孫子素雄)の作品どちらもやってます。

 藤本先生は真面目な方で、漫画以外のことはあまりやらないんです。濃いタバコを吸うくらい。ただ、一度ゴルフを一緒に回ったことがありました。シンエイ動画の幹部に、「自分が回ると先生に気を使わせる。だからお前やれ」って。

 その幹部から上等なクラブを渡されたものだからキャディーさんに、「初心者にしては随分良いクラブ持ってますね」なんて言われちゃって。当日は滅茶苦茶に振ってました。

まつもと いわゆる接待ゴルフですね(笑)

本多 当て馬です(笑)

団塊ジュニアとその前後の世代は、本多さんが手掛けた『ドラえもん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』といったアニメを見て育った人が多いはず。親になってから『それいけ!アンパンマン』を子どもに見せているなら、親子2代でお世話になっていることに

遺影がきっかけでアニメ業界入り!?

まつもと ところで本多さんは、小さい頃からアニメの会社で働きたいと思っていたのですか?

本多 どっちかと言うと漫画は好きだけれど、プロになれるとは思っていませんでした。もともと公務員になりたかったんです。山登りが好きでね。

まつもと 公務員で山登り?

本多 林野庁が国立公園の管理をしていたんですよ。現在だと「アクティブ・レンジャー」などと呼ばれる職業ですね。私は群馬生まれ、高校は林業科だったので、高校生の頃は水筒とおにぎりだけ持って谷川岳を1時間半で登って2時間で降りる、なんてバカなことをやって喜んでいました。

まつもと では、山でスケッチしたりとか?

本多 いや全然。絵は学校でいたずら描きするくらい。ただ……遺影ってあるじゃないですか。昔は田舎だと小さな写真を大きく伸ばす技術がなかったので、遺影専門の絵描きがいたんです。でも(特殊技能なので)結構なお金を取られる。そこで近所の人が、「お前の家のガキに描かせてみろ」って話になって、私が代わりに描いたら「良い出来じゃないか」と。

まつもと 遺影がきっかけ! 面白い。

本多 お小遣いもくれるようになったので何枚も描きました。

まつもと それでもプロに頼むよりは安いと。

本多 そうそう。プロに頼むと数万円すると言ってました。当時確か4000円~4500円くらいもらいましたね。そのうち調子に乗って近所のお年寄を見ると『あのジジイ早く死なねえかなー』なんて(笑) まあそんな高校生活を送っていたのですが、肝心の公務員試験に落っこちちゃったんです。

 しょうがないからブラブラしていたら高校の先生がシンエイ動画の楠部大吉郎社長(『巨人の星』作画監督など)をご存知で、「お前いつもイタズラ描きしてるだろ。絵が描きたいなら紹介してやろうか?」と。絵でメシが食えるならと、その高校の先生と楠部社長のお父さんの紹介状を持って上京しました。

昼間はアニメの勉強、夜は池袋で大暴れ

まつもと その時点ではアニメーターとしての勉強は一切していないわけですよね。

本多 全然。確か一応、試験は受けたんです。『巨人の星』のキャラクターを描かされたような気がするんだけれど、うまく描けた記憶はないから、コネですよ。

まつもと よく考えれば、遺影は顔だけですし。

本多 そう、ただの肖像画。動かないし、ティッシュや筆でそれっぽく描けば良い。(全身の動きを描く)アニメは難しかったですね。ただ、楠部社長も自分の親父と高校の先生の紹介だから簡単には断れなかったのでしょう。

 一方、私は紹介してもらったメンツがあるから一生懸命やらなきゃと思ったんだけれど、やはり東京で一人暮らしを始めると、飲み歩いたりできて楽しいじゃないですか。当時住んでいた池袋はヤクザ者がいっぱいいる街だったから、警察沙汰になるようなケンカをしょっちゅうやっていて。でも彼らに絡まれても元陸上部だったので逃げ足だけは自信がありました。

まつもと えー!

本多 あのへんを飲み歩いていると、「にいちゃん飲まねえか」とか言われるわけですよ。

まつもと 絡まれるんだ。

本多 「いや、いいですよ」と断ると今度は「俺の酒が飲めねえのか」。そのうち「表へ出ろ!」となって、出たらいっぱい(仲間が)いて袋叩きにあって。頭にきたからそのへんのモノをつかんでワーって。それで警察が飛んで来るなんてことがあったり、飲み屋でボラれるとこっちから店に文句言って立場が変わったり。

まつもと もう映画のワンシーンですね。

本多 周りのみんなには『のたり松太郎』にちなんで“まっちゃん”と呼ばれてました。そんな騒ぎを起こすたび楠部社長に呼ばれて、「今度やったら帰ってもらうぞ!」。「すぐ帰れ」とは言わない。帰したら社長も、親父や先生にメンツが立たないから。それに気づいた私は『これは都合が良いな』と(笑)

まつもと すごい青春だ! そんな毎日のなかでアニメの絵を描く勉強もしていたのですね。

本多 そうです。当時は『ドラえもん』シリーズの作画監督などをやっていた中村英一さんに教えてもらいました。

まつもと 飲んで暴れる問題児だけれど、きっとみんなから才能を見出されていたんですね。

本多 いやいや、才能なんてほとんどないですよ。絵は下手だし暴れてしょうがないのでヘタに触らないほうがいいや、みたいな感じで。

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木上さんは入社前から「とんでもなく上手かった」 やがてプロレスで意気投合

まつもと お話をうかがっていると、『怪物くん』のアクションシーンなどに活かされているのかなと思いました。

本多 あれは当時人気だったプロレスからですね。『怪物くん』にはまさにプロレスする話もあるんですよ。「怪物くん 岩石怪物ドタマカチン」という回。アントニオ猪木さんやアンドレ・ザ・ジャイアントさんに似せたリアルなキャラを描いた覚えがあります。木上くんはじめ、みんなプロレス好きだったんですよ。

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まつもと へえー。木上さんとはシンエイ動画でどのくらいの期間ご一緒だったんですか?

本多 『ドラえもん』から一緒にやって……7年くらいかな。この建物(エクラアニマル本社)はもともとシンエイ動画のものだったんです。まさにこの部屋で『怪物くん』も描いてました。部屋の角に社長がいて、その隣が私。なぜかと言えば、この2人はタバコを吸うから隅に追いやられた(笑)

 ドラえもんをやっていたある日、社長が、「本多くん、こういう人が来たんだけど、どうかね?」と絵を見せられて。すごく上手いので、「すぐ雇ったほうが良いですよ!」って。周りの同僚も口々に「この絵はすごい!」と。……それが木上益治くんだったんです。

40数年前、まさにこの場所で『ドラえもん』や『怪物くん』が作られていた。取材時は『小さなジャムとゴブリンのオップ』の作画作業に使われていた

まつもと では、後輩になるんですね。

本多 ええ。でも彼は絵が上手かったからすぐ原画マンになって、『怪物くん』では作画監督を頼みました。鈴木信一くんと3人で共同作監体制を組んだのです。

 あの頃は、現在のような各話作監体制ではなく、1人で全話見るのが当たり前でした。しかも正月や暮れには特番が入り、劇場版をやるとなったらそれも。とても1人じゃ見きれないと言うことで、3人になったんです。

まつもと 木上さんと、まさにここで作業されていたんですか。そう聞くと、なんだかすごく神聖な場所ですね……。

本多 最近の人たちが言うところの聖地ですね。

“7人の野武士”がアニメスタジオを立ち上げる

まつもと まさに。印象に残っていらっしゃるエピソードはありますか?

本多 あにまる屋は木上くん含め7人の仲間で立ち上げたんです。みんな大酒飲みでした。なにせ大みそかから元旦までのあいだに1人一升から二升ずつ飲みましたからね。水上温泉に社員旅行に行ったら途中で旅館から、「すいません、もうお酒がなくなっちゃいました」って言われたり。

 あまりに飲むので当時サンライズの高橋良輔さん(『装甲騎兵ボトムズ』監督など)が、「アイツらろくな死に方しねえぞ」って冗談言ってました(笑)

 そして酒と同じくらいプロレスが好きでした。木上くんはアントニオ猪木さんが大好きでね、寿司屋で酒を飲んでいたときに隣の席にいた奴が、「プロレスなんて嘘だよな、八百長だよ!」とかなんとか言ってたんですよ。そしたら彼の目がピカッと光って、「もう一度言ってみろ」。

まつもと 血気盛んですね。みなさん若かった。

本多 周りからは野武士集団と言われました。新人は40kgのバーベルを上げられないと入れない。「絵がうまくてもダメだ」って。

身体を鍛えるために社屋の隣にトレーニング用のスペースを借り、若い頃はバーベル100kg(!)を上げていたとのこと。あにまる屋は肉体派アニメーター集団でもあった

本多さんが身体張って演じた動きがルパンやコナンに

まつもと シンエイ動画時代は『パンダコパンダ』で宮崎駿さんと一緒にやっていますね。

本多 ちょうど1972年に田中角栄首相と周恩来首相が握手をしてパンダが来たタイミングの作品ですね。

まつもと 世はまさにパンダブーム。

本多 宮崎さんは当時、『長くつ下のピッピ』という絵本をアニメ化しようとキャラクターデザインをしていたんです。そんななかで「パンダものをやれ!」といきなり東宝が言ってきたものですから、キャラクターの原型は『長くつ下のピッピ』向けに温めていたものをアレンジした感じで。宮崎さん、高畑勲さんとは『ルパン三世』でも一緒でした。

 8ミリフィルムのカメラを持って多摩川までポーズを撮りに行ったりしましたよ。現代のようにスマホで簡単に撮れないし、参考資料も乏しいので。宮崎さんや大塚康生さんが「本多くん、ちょっとそこでポーズとってよ」と。

まつもと では、当時の本多さんの動きがアニメになっていたことが結構あるはずだと。

本多 『未来少年コナン』でも、さすがに壁を走って落ちてなんてことまではやらないけれど、宮崎さんからポーズとってよと。私としてはそっちのほうが面白いんですよ。

 そして撮った8ミリフィルムを参考にしながら描くわけですが、宮崎さんはうまくてね。あるときは足のほうから描き始めたので理由を聞いたら、「歩幅が合う」って。立ち位置なんて引かず、一発で描いちゃうんだ。

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大塚康生さんと宮崎駿さんに教わったこと

まつもと 近年のドキュメンタリー映像では宮崎さんが厳しく「こんなの鳥じゃない!」とか言ってアニメーターに戻したりするじゃないですか。本多さんにもそういった厳しい指導があったのですか?

本多 私の場合はまず大塚さんの指導を受けました。『巨人の星』で“星飛雄馬の顔が燃えていって真ん中から穴が空き、下から花形満が出てくる”というシーンがあったのですが、私が何回描いても大塚さんはごみ箱にドサッと捨てちゃうんですよ。

 確か4回目くらいで、「もう勘弁してくださいよ」と言ったら、「ちょっと見てみな」と動画用紙を1枚取って、おもむろにライターで下から火を点けたんです。

 すると真っ白い紙の真ん中に黒い点が1個ポンと出る。そしてその黒点がバーっと広がっていき、やがてメラッと穴が開く。「“燃える”ってこうなんだよ」と。

 対して私は、サーカスのライオンがくぐる火の輪みたいに、きれいに順に送って描いていました。大塚さんは「こんな燃え方はしない」と教えるために、職場の真ん中で紙に火を点けることまでしてくれたんです。

まつもと すごいですね……。

本多 忘れられませんよ、やっぱり実際を通じて学べということを教えてくれたんだと思います。今でも頭にこびりついて離れないです。

 また、『パンダコパンダ』で女の子が卵焼きを作るシーンを描いていたら宮崎さんが、「油の跳ね方が違う」と。実際にやれと言われて、これまた何回も卵焼きを作って試してはみたものの、悩みました。私はアニメーションをあまり知らないので、跳ねた油の粒をやはり丁寧に順を送って跳ばしていたんです。

 でも宮崎さんは、「もっとランダムにビャーッとなる。無茶苦茶で良いんだ」と。言われてみればそうなんだけれど、当時は教わった基本をそのままやる頭しかなかったんです。結局、卵焼きをいっぱい食うハメになっちゃいましたね(笑)

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本多さん、実は「二原システム」の生みの親だった!?

まつもと お話をうかがっていると、本多さんは当時のアニメ制作の第一線で、しかも日本を代表するようなアニメーターの方々と一緒に活躍されていたことがわかります。しかも入社時はアニメに興味なかったというのも驚きです。

本多 そんな私が続いているのは、大塚さんや芝山さんがいたずら好きで職場が楽しく、こういう人たちと一緒に仕事ができるということが本当に幸せだったからだと思います。

 実は、私が原画に昇格した理由もすごくて。昇格試験には問題が3つあり、まずは“跳び箱を跳ぶ”。これは動きがわかっているから良い。問題は2つ目の“宮崎さんの描いた『パンダコパンダ』の女の子キャラが大きな石を持ち上げる”。そして最後に“『ルパン三世』のガンアクションを自由にやれ”。

 私は大きな石を一生懸命持ち上げるポーズがどうしても描けなくて、悩んだ挙句、苦し紛れに“力持ちになる薬を飲んで、片手でヒョイと持ち上げる”という動作を描いたら試験官の大塚康生さんが、「これ面白い!」と言って、そのまま合格しちゃったんですよ。

まつもと それは大変だ(笑)

本多 そのとき一緒に昇格した同僚がのちに『ルパン三世』のシリーズで活躍する青木悠三くん。彼はもともと漫画家のアシスタントだったので絵が上手。実際、彼の原画はどんどんパスしていくんです。一方、私が描いた原画はドサッとリテイクが戻ってくるんですよ。大変な思いをしました。

 その後『ガンバの冒険』をやってるときもまだうまく描けないので制作進行に、「早く描け!」と急かされる。あまりに鬱陶しいから一計を案じて、青木くんがラフを描いて私が清書するという分担作業で進めたんです。

 結果、すごく早く上がったので制作進行は大喜びなんだけれど、作画監督の椛島義夫さんに呼び出されて、「お前ら、何ふざけてるんだ!」とお叱りを受けました。

まつもと でもそれって、現在の一原・二原システムの走りですよね。

本多 先駆的だったね(笑)

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「似せようなんて思うな。自分の演技を描け」

まつもと しかし原画に昇格して日も浅い頃に『ガンバの冒険』は大変ですよね。何と言っても動物作画のオンパレードですから。

本多 そうですね。演出も出崎統さんだし。ただ、当時恵まれていたなと思うのは、先輩たちが口を揃えて、「(キャラデザに)似せようなんて思うな。自分の演技を描け」「そのお前の下手な絵を直すところから新しい表情が生まれるんだ」と言ってくれたことです。

 だから『ど根性ガエル』のときは好き勝手に描いてました。その方針のおかげで伸びた人は結構多いんですよ。百瀬義行くん、友永和秀くんもそうでした。

 昨今は絵を似せないと怒られちゃうんです。だから作監がいっぱいいるんですよね。そんなに作監がいるならみんなで描けば? と思うくらい作監が多いです。

まつもと 似せる前にちゃんとした動きを描かせるという教育方針だったと。その結果、その人じゃないと描けない動きが出てくる、ということですね。

本多 そうなんです。やがて私も『おれは鉄兵』で大塚さんに、「これは本多にやらせる」って変なシーンばかり担当させられました。

まつもと きっと面白くするはずだと。

本多 おしっこを我慢するところとかね(笑) でも、そうやって大塚さんから直に指名されるようになれたってことが、うれしかったんですよ。

〈後編はこちら〉

筆者紹介:まつもとあつし

まつもとあつし(ジャーナリスト・コンテンツプロデューサー・研究者)

 IT・出版・広告代理店、映画会社などを経て、ジャーナリスト・プロデューサー・研究者。NPO法人アニメ産業イノベーション会議理事長。情報メディア・コンテンツ産業に関する教育と研究を行ないながら、各種プロジェクトを通じたプロデューサー人材の育成を進めている。デジタルハリウッド大学院DCM修士(専門職)・東京大学大学院社会情報学修士(社会情報学)。経産省コンテンツ産業長期ビジョン検討委員(2015)など。著書に「コンテンツビジネス・デジタルシフト」(NTT出版)、「地域創生DX」(同文舘出版)など。

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