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「【烽―とぶひ―】憂国のアート、至誠のアート」展を開催 ギャルリさわらび、彫刻家 佐々木誠氏の木彫にて第1回展

@Press / 2015年3月18日 10時30分

≪儀態≫ 撮影:富野博則
ギャルリさわらび(所在地:東京都中央区)は、3月25日より「【烽―とぶひ―】憂国のアート、至誠のアート[巻之一]彫刻家 佐々木誠」展を開催いたします。

「ギャルリさわらび」
http://www.gsawarabi.com/


■根有るゆえの花
佐々木誠の仕事には、尊皇精神が貫いている。かつて戦前までの少なからぬ芸術家がそうであったように。それは特定の時代の特定の思想やイデオロギーを指すものではない。上古から連綿と続く長い歴史を持つ祖国への深い愛情と換言することも出来る(祖国愛はパトリオティズムでありナショナリズムとは峻別される)。その強靭な根が、佐々木芸術の力の源である。根無し草的現代日本に咲いた、根有るゆえの新しい花である。

佐々木の仕事にあらわれているものについて、もうひとつ指摘すれば、それはスサノヲ(素戔男尊)的血脈である。換言すれば、縄文の血である。日本で最初の和歌を詠ったという芸術神でもあるスサノヲは、アマテラス(天照大神)の天岩屋戸籠りの原因をつくった「荒ぶる神」といわれる。世は常闇となり危機が襲うが、しかし此れにより神々は祭を行い、祭は神楽となり、神楽は能の起源ともなる。荒ぶる魂に拠る反転、画期、或いは危機を脱する力。スサノヲ的公憤からもたらされる剣(スサノヲが退治したヤマタノオロチの尾から出現)は、アマテラスに奉じられ、ヤマトタケル(日本武尊)に伝わる。ヤマトタケルの歌は、連歌の起源となる。剣は歌(詩・芸術)と共に在り、在り続ける。佐々木は彫刻と共に、和歌を作り続けている。普段穏やかな佐々木の内には、荒魂が宿る。佐々木の内なる剣は歌と共に在り、在り続ける。そのひたぶる心が彫るかたちに顕れるいのちは、雄々しくもはかない。ゆえに結ばれ、途切れぬ「何ごと」かを秘するのである。「何ごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と西行は、伊勢で詠んだ。佐々木の作品にあらわれずしてあらわれるもの、或いは目に見えるものの奥に秘されしもの。其処に西行が詠んだ「何ごと」かを想う。

佐々木の「祠」について、付言しておきたい。民俗学者の柳田国男は14歳の頃、茨城県布川の親類の元に預けられていたとき、近所の旧家に沢山の蔵書があったことから、そこへよく通って本を読んでいた。ある日、その旧家の庭の奥にあった石の祠の中を見たくて仕様がなくなって、思い切って開けてみたところ、握りこぶしくらいの美しい蝋石の珠が入っていた。その時、不思議な実に奇妙な昂奮した感じに襲われ、しゃがみこんでしまって、ふっと空を見上げた。すると、よく晴れた春の空に、数十の星がきらめくのが見えた。その時ひよどりが高空でぴいっと鳴いた。その声を聞いて、はっと我に帰った。もし、ひよどりが鳴かなかったら、柳田は発狂していただろうと言う。小林秀雄はこの話に感動し、こういう柳田の感受性が、その学問のうちで大きな役割を果たしている事を感じたと言う。この話は、学問とは、美とは、生きるとは何か、或いは理屈を超えた感動や感激という根からこそ生み出されるものを考えさせてくれる。頭でっかちになり過ぎた現代人は、ほんとうに何かに感動しているだろうか。我を忘れて「何ごと」かの為に生きるということが、本物の学問に通じ、いのちたるのではないか。佐々木の「祠」の原点が、少年柳田の「祠」にある。
本展では「祠」と併せ、「儀態」(上図)、「狛犬」など「御使神(みさきがみ)」の動物たちとの出会いも楽しみだ。

(廊主)


■佐々木誠 略歴
昭和39年(1964)東京生まれ/1984年より木彫を中心に制作活動を始める/日本の風土、民族的歴史に自己の胚胎の原点を据え、神話や信仰遺品から造形をイメージし制作を続けている/1997年彫刻創型展、文部大臣賞/1999年同展、創型会賞/2010年「第36回人人展」東京都美術館、「小さな人人展」羽黒洞、「Asia Top Gallery Hotel Art Fair 2010」Grand Hyatt HK羽黒洞ブース(香港)、個展「祖形-ヒトガタ-」羽黒洞/2011年個展「大日本者神國也-オホヤマトハカミノクニナリ」羽黒洞/2012年「アートフェア東京2012」シャッフルIIブース出品、「月ノカホリ Art Colours vol.3」パークホテル東京、個展「靈ちはふ國」羽黒洞/2013年個展「豊葦原瑞穂國」ギャラリー隠れ里/2014年個展「皇國大道(スメラミクニノオホミチ)」羽黒洞、東千賀氏との二人展「秘展―垂直ノ存在社」ギャルリさわらび、個展「たまふり」ギャルリさわらび、「スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり」足利市立美術館(2015年DIC川村記念美術館、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館、渋谷区立松濤美術館に巡回)


■【烽―とぶひ―】憂国のアート、至誠のアート展について
神官を務め、最後の文人と謳われ、19世紀世界三大画家とも評される富岡鉄斎(1837-1924)は、幕末明治の危機意識から、深い憂国の情を抱えていました。自らを画家と言わず学者と称し、幕末の志士達とも深交があった鉄斎は、国史をはじめとした学問を志し、其れを芸術に昇華させました。「御國振」の衰えを嘆き、「天下万古隆盛の道、それ、ここにあるか」と叫び、「唯々一人ハ一人の至誠をつくし、天下の人、至誠つくす」という鉄斎の烈々たる意志は、現代の危機に在る私共の胸に迫ります。

「維新の志士の如き烈しい精神で文学をやつて見たい」、そうでないと「腰抜文学者の様な気がしてならん」と言い、「至誠」を重んじたのは、鉄斎と同時代を生きた夏目漱石(1867-1916)でした。また、「剣」と「詩」の一体性が文化の本質であることを示唆した三島由紀夫(1925-1970)の著作『憂国』での、「至誠」の掛軸を印象強く覚えている方もいらっしゃるでしょう。国史や神話へのまなざしを持ち、復古の理想を追い、現実の危機に処した志士たち、その純粋無私の精神たる「至誠」ですが、本企画により、現代作家の皆さんの「至誠」への志に、多くの皆様に触れていただければと思います。

芸術は国境を越えた感動を呼びますが、その礎は足下を見つめるところにあり、其処には先人たちのかけがえのない遺産があり、そしてそこから今を貫く垂直軸の上にこそ、新しい芸術は生まれるとかんがえています。戦後日本の日本否定教育や反日プロパガンダは、多くの日本人から日本人としてのアイデンティティを奪い、いわば原点喪失をもたらしました。戦後七十年という節目の年を迎え、本企画はそのことをかんがえるよすがにもなるかも知れません。「現下の日本の置かれた条件が根本から非道なものだというのに、どうして日本がこのままでいいはずがあろうか!いや、よかろうはずがない!」(1974)。そう言ったアンドレ・マルロー(1901-1976)は、日本芸術に「永遠」を見ていた一人でした。

「芸術」が終わった後の「アート」とも云われる現代の「アート」の意義が問われる今、「アート」の中に在って「アート」を貫き、連綿たる「至誠」への道、その歴史の垂直軸への連繋を見据えてまいりたいとおもいます。

企画は、ギャルリさわらび。銀座一丁目、映画撮影などにも使われる昭和7年(1932)建築のビル(旧銀座アパートメント)の一隅にあります。昭和7年は、日本では桜田門事件、血盟団事件、五・一五事件があり、また、いわゆる三二年テーゼがあり、銀座の柳が植樹され、チャップリンが来日した年でもあります。この画廊空間や建物には、時代の空気が否応無く流れています。

幕末の危機、昭和の危機、そして現代の危機。鉄斎や志士達が遺した書画は、今も私共の心を打ち、そして危機に顕れる「詩」は、現代日本にも生まれています。

「烽―とぶひ―」とは、『日本書紀』や『風土記』などに見えるのろし(烽火、狼煙)を表す言葉です。上古日本の危機にあって防人と共に設けられ、「とぶひ」は「飛火」から来ているようです。この企画がひとりでも多くの皆様の心に、火の粉を飛ばせるものになりましたらうれしくおもいます。

(ギャルリさわらび 田中壽幸)


■展覧会詳細
【烽―とぶひ―】憂国のアート、至誠のアート
[巻之一]彫刻家 佐々木誠
日時    : 2015年3月25日(水)~4月25日(土)
        〔日・月・火曜 休廊〕12:00~18:00(最終日は17:00まで)
所在地   : 〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル2階
ホームページ: http://www.gsawarabi.com
        http://www.yukoku-art.com


■画廊概要
画廊名: ギャルリさわらび
創業 : 2003年8月
廊主 : 田中壽幸
所在地: 〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル2階
URL  : http://www.gsawarabi.com
     http://www.yukoku-art.com

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プレスリリース提供元:@Press

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