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家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 信長・徳川vs浅井・朝倉 決戦の地「姉川の戦い」の舞台へ

バイクのニュース / 2023年4月15日 15時0分

NHK大河ドラマ『どうする家康』では、数々の困難や危機を乗り越える様が描かれています。1570年4月、信長&家康をピンチに陥れた浅井&朝倉の挟撃による「金ヶ崎の退き口」の直後、信長と家康連合軍は浅井討伐のために滋賀県の姉川で合戦を繰り広げます。「姉川の戦い」として知られる戦の舞台をバイクで訪れました。

■姉川沿いで繰り広げられた合戦

 1570年4月、信長&家康をピンチに陥れた朝倉&浅井の挟撃による「金ヶ崎の退き口」の直後、信長と家康連合軍は浅井討伐のために滋賀県の姉川で合戦を繰り広げます。「姉川の戦い」として知られる戦の舞台をバイクで巡りました。

夕暮れ前に到着した「姉川古戦場」には大きな赤い看板が設置され、遠くから視界に入り探しやすかった夕暮れ前に到着した「姉川古戦場」には大きな赤い看板が設置され、遠くから視界に入り探しやすかった

 史跡「姉川古戦場」は、滋賀県長浜市野村町を流れる姉川周辺にあります。古戦場の石碑が設置され、姉川に掛かる「野村橋」一帯が壮絶な戦いの舞台とされています。そこには詳細に記述されている解説板がありました。内容を要約すると次の通りです。

姉川合戦の布陣が描かれた図。家康は西に布陣して朝倉軍と対峙して勝利し、さらに窮地に陥った信長を救援する活躍ぶりが語り継がれている姉川合戦の布陣が描かれた図。家康は西に布陣して朝倉軍と対峙して勝利し、さらに窮地に陥った信長を救援する活躍ぶりが語り継がれている

●1570年6月28日、浅井長政(あざいながまさ)・朝倉義景(あさくらよしかげ)の連合軍と、織田信長・徳川家康の連合軍が長浜市を流れる姉川の両岸に布陣し合戦を展開

●浅井軍8000人、朝倉軍10000人、対する織田軍23000人、徳川軍6000人で、午前5時に始まり午後2時に終わった

●合戦は西方に陣した朝倉軍と徳川軍の間で始まり、最初は朝倉優勢だったが、榊原康政(さかきばらやすまさ)らが側面から突き形成が逆転

●浅井軍と織田軍の戦闘でも最初は浅井軍が優勢だったが、西美濃三人衆(稲葉良通:いなばよしみち、安藤守就:あんどうもりなり、氏家直元:うじいえなおもと)の側面攻撃や徳川軍の加勢により浅井軍が敗退

家康が陣を敷いた山は元々「岡山」と呼ばれていたが、戦に勝ったことに因み、「勝山(かつやま)」と呼ばれるようになったとか家康が陣を敷いた山は元々「岡山」と呼ばれていたが、戦に勝ったことに因み、「勝山(かつやま)」と呼ばれるようになったとか

●最近では「姉川合戦は浅井軍の信長本陣への奇襲作戦であり、通常言われるような大規模なものではなかった」との説も唱えられている

●最終的に浅井氏が滅亡したのは3年後の1573年9月1日だった

 確かに、近年の歴史番組では「信長が勝利した戦」ではなく、浅井の奇襲により、信長にとって命を落としかねない危機があった、とする説が紹介されています。歴史の面白いところは、定説を覆すような真実を常に探し求める人がいる限り、いろいろなことが想像できてしまう面です。大河ドラマ「どうする家康」ではどう描かれるのかも気になるところです。

カラスが鳴く夕暮れ、樹齢1300年以上という異形の杉を思わず見上げた。戦勝を祈願したとも言われ、また戦の矢によって枝が折れて枯れたとも伝えられているカラスが鳴く夕暮れ、樹齢1300年以上という異形の杉を思わず見上げた。戦勝を祈願したとも言われ、また戦の矢によって枝が折れて枯れたとも伝えられている

 家康公ゆかりの地としては、陣を敷いたとされる小山と神社があります。境内の大杉の異形ぶりには思わず見上げてしまいました。枯れている理由は「合戦のおり、両軍の矢が飛びかって枝を折ったため」と伝えられているそうです。

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