「死ぬほど頑張りました」スーパーモンキーズとしてデビューした牧野アンナが脱退を決めた理由
CREA WEB / 2024年2月29日 7時0分
90年代を中心に安室奈美恵やSPEED、DA PUMPほか、次々とアーティストを輩出した沖縄アクターズスクール。飛ぶ鳥を落とす勢いでヒット曲が続き、歌にダンスに観るものを魅了し続けた。
その中で、アイドルを夢見て2度のチャンスを手にしながら表舞台から裏方に回った一人の女性がいる。アクターズスクール創業・マキノ正幸さんを父に持つ、牧野アンナさんだ。
父であるマキノ正幸さんは、マキノ映画の創始者であるマキノ省三を祖父に、映画監督のマキノ雅弘、俳優の轟夕起子のもとに生まれ、長門裕之と津川雅彦とは従兄弟関係という、まさに“芸能一家”の中で育った。1983年に沖縄アクターズスクールを開校すると、その審美眼で安室奈美恵のカリスマ性を見出した話は広く知られている。
牧野さんはそんな個性あふれる父親との関係性に葛藤を抱えながら、自らの舞台での活躍を望みつつ、安室奈美恵の圧倒的な存在感、一気にスターに昇り詰める姿を目の当たりにして何を思っていたのか。
――11歳でアクターズスクールに入ると、お父さまのことを校長先生と呼ばれていたそうですね。父と娘の関係は変化しましたか?
牧野 師弟関係のようになっていきました。父は破天荒な性格で、彼女もたくさんいたし、月に1、2回しか帰って来なかったんです。父とは雑談することもなくなりました。
――アクターズスクールでは、お父さまは牧野さんに対して他の生徒より厳しくあたることも多かったそうですね。
牧野 スクール内の緊張感を持たせるときに、よく利用されていたました。たとえばみんなでイベントに行ったとき。
小学生同士で喧嘩が始まって、みんなが泣いたり騒いだりしている中で、私だけ引っ張り出されて、みんなの前で引っぱたかれたことがあったんです。周りもハッ……! と驚いて喧嘩が止まりましたが、私は怖くて泣き止むことができず、私が泣き止むまで叩かれ続けて。周りの大人たちが慌てて止めに入りましたが、そういったことがよくありました。
いつか殺してやりたい……! 夜な夜なそんなことを考えていましたね。
――その後、牧野さんが14歳のときに沖縄から上京、15歳でデビューされました。
牧野 親戚に津川雅彦さんがいて、津川さんの家に居候してレッスンに通いながら、オーディションを受ける生活になりました。
しばらくして、ドラゴンクエストのゲームソフトのキャンペーンソングを歌うお話があって、デビューが決定。そのまま順調にいくかと思いきや、2曲目から全然売れなかったです。
私が、一番最速で、一番イヤな奴になったと思います
――周りのスタッフさんたちとの関係はいかがでしたか?
牧野 まぁ、生意気でしたね。たぶん、私が今まで指導してきたアイドル達も含めて、一番最速で、一番イヤな奴になったと思います。
はじめは純粋に頑張るつもりだったんです。でも、まぁ芸能界に入るとチヤホヤされたんですよ。売れてもないのに。特に私が所属していたレコード会社は、元々演歌歌手を中心にやっていて、初めて10代のアイドルの女の子をデビューさせることになったんです。
アイドルの扱い方も慣れてなくて、私が挨拶周りに行くとなったら、いつもおじさんたち10人くらいがゾロゾロついてきて、荷物を持ってくれたり、アイスクリームを用意してくれたり、とにかくチヤホヤされました。
はじめは「わぁ、すみません!」なんて言ってましたが、次第にそれが当たり前になってくるんです。そのうち何もしてもらえないと、なんてこの人は気が利かないんだろう。なんで仕事取って来ないんだって言い出すようになって。自分が嫌いな人には無視するし、態度も悪いし、努力もしない。マネージャーさんもすぐに辞めていきました。
――その後、なぜ早々に沖縄に帰ることになったのでしょうか。
牧野 デビューから1年くらい経ったとき。レコード会社に行ったら、急に誰も挨拶してくれなくなったんです。「アンナちゃん!」って声を掛けてくれていた人たちが一斉に無視。動揺していたらスタッフに呼ばれ、これから売り出すという新人の子を紹介されました。
その日を境に、今まで私についてくれた人たちが全員その子についたんです。そこで、やっと自分の未熟さに気づきました。
父に話をすると、このまま事務所にいても飼い殺しになるだけだと。レコード会社とプロダクションも契約途中でしたが、父が話をつけて辞めさせてもらいました。その後、沖縄に帰ってアクターズに戻ることに。再度タレントを目指しつつ、生徒の指導役も担うことになりました。
――牧野さんが沖縄に戻ってしばらくすると、安室奈美恵さんが友達の付き添いでアクターズスクールにやってきたそうですね。
牧野 父が事務所の前をスッと歩いていた奈美恵を見て、「この子だ!」って。奈美恵が帰ろうとした瞬間、「連れ戻して来い!」って言うんです。追いかけて奈美恵を連れてきたら、授業料はいらないからアクターズに入りなさいと。
父は奈美恵の歩き方を見ただけで、俺は日本人でこんな歩き方ができる子は見たことない。この歩き方をする子が歌えないはずがない。体もバランスも含めて、絶対この子はすごくなる! と断言したんです。
一番辛かったのは奈美恵かもしれません
――牧野さんの目には、安室さんはどのように映っていましたか?
牧野 私は父のような発見はなかったんですけど。当時の奈美恵は人見知りも激しかったし、人前でワーってするタイプでもなかったんです。色が黒くて細くて、その後スターになるなんて想像しなかった。
スタジオでも、いつも部屋の隅っこにいて、照れて顔もハンカチで半分以上隠していて、こちらが何か話しかけても頷く程度。レッスンもはじめはそこまで熱心じゃなかったような。
――安室さんの凄さを感じたのは、どのあたりからですか?
牧野 小学生が参加できるカラオケ大会があったんです。当時MAXのMINAもよく出ていましたが、そこに奈美恵も出ることになったんです。アクターズでは、まだ奈美恵の歌声を聞いたことがなかったのですが、とりあえずエントリーだけさせて、父と一緒にテレビを観ていました。
いざ、奈美恵の番が回ってくると、奈美恵がいきなりパワフルに歌いだして、父と顔を見合わせて「え……??」って。奈美恵、歌えるんだ……! 人前で努力を見せずに、家で頑張って練習して、本番で本領発揮するタイプなんだ! とびっくりしましたね。
結局カラオケ大会でも優勝して、そこからみるみる変化していきました。
――お父さまは、「奈美恵を特別扱いする」と仰ったそうですね。
牧野 既にアクターズスクールから何十人もデビューしていましたが、私を含めて誰も売れなかったんです。沖縄の子どもたちの才能は間違いない。沖縄から一人スターを出して突破口を切り開かないと、後が続かないと言っていたところに奈美恵がいました。
父はみんなに「奈美恵の才能は、お前たちとは全然レベルが違う。俺は奈美恵を徹底的にひいきするけど、お前たちはヤキモチを焼くな。奈美恵が売れることによって、お前たちの道ができるから、俺は奈美恵をとにかく育てる」と、ことあるごとに言っていて。
普通、「あの子ひいきしてませんか?」と聞かれたら「そんなことないよ」と言いそうですが、「ひいきする!」って断言しちゃってますから(笑)。もう、ひいきしてますけど、何か……? みたいな。
みんなも納得するしかなかったし、一番辛かったのは奈美恵かもしれませんが。
SUPER MONKEY’Sのデビューが決まったときに死ぬほど頑張った
――その後、1992年にSUPER MONKEY’Sの活動がスタート。安室さん、牧野さんもメンバーに抜擢されるも、牧野さんはデビューから早々に脱退されたそうですね。
牧野 レッスンでは横並びでも、デビューした途端人気が全て。売れることが価値になるんです。ステージに立つと、プロデューサーもディレクターもお客さんもみんな奈美恵しか見ていなかった。奈美恵は14歳にして、人を惹きつける魅力やカリスマ性を持っていたんです。
しかも、奈美恵は歌もダンスもとんでもなく努力する子で、練習も楽しくてしょうがない。練習が終わってもずっと歌ってるし、歩きながら踊ってるんです。
一方、私は歌もダンスもやらねばならぬ。ステージに立つために練習せねばならぬというマインドで。才能やカリスマ性があって、努力も楽しむ14歳と、才能がないと言われて努力が苦痛な20歳の私。既にデビューしてしまったけど、自分が向いてない世界に1分1秒でも長くいることは無意味だと思ったんです。
父には、元々お前は表に出るタイプではなくて指導者だと言われていました。でも、15歳の1回目のデビューで上手くいかなかった思いがずっとあった。その後悔を断ち切るためにSUPER MONKEY’Sのデビューが決まったときに死ぬほど頑張りました。これ以上ない努力したところを、奈美恵が軽々超えていって、やっと次のステージにいくことができました。
牧野アンナ(まきの・あんな)
1971年12月4日生まれ。東京都生まれの沖縄育ち。沖縄アクターズスクール代表取締役COO兼プロデューサー。LOVEJUNX代表。父・正幸は安室奈美恵などを輩出した沖縄アクターズスクール創設者。
文=松永 怜
撮影=佐藤 亘
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