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井上荒野「孤独をテーマにしようと決めていた」『錠剤F』のきっかけを生んだ“ニュースの断片”

CREA WEB / 2024年2月12日 11時0分

 井上荒野さんの短編集『錠剤F』(集英社)と『ホットプレートと震度四』(淡交社)が2024年1月に上梓されました。不穏な空気が漂う「黒荒野」作品『錠剤F』と、温かな物語が詰まった「白荒野」作品の『ホットプレートと震度四』という対極の2冊について、執筆テーマを伺います。


孤独をテーマに織りなす10の物語


『錠剤F』について話す井上荒野さん。

――10の物語から成る短編小説集『錠剤F』には「グロテスクで怖い」という帯の通り、全体的にどこか暗い雰囲気のある小説が収載されています。

井上 短編を連載する時はテーマを決めているんです。数年前に短編集『赤へ』を書いた時は「死」をテーマにしたから、今回は「孤独」をテーマにしようと決めました。

――孤独はご自身にとって身近なテーマなんですか?

井上 ほとんど思いつきだったのですが、いざ書き始めたら「いたるところに孤独は転がっているんだな」と感じました。

――10の物語の中で、特に思い入れのある作品はどれですか?

井上 全部好きですけど、やっぱり表題作の「錠剤F」かな。あと、「みみず」も気に入っています。

「みみず」は最初、全く違う話を書くつもりだったんです。編集者と話をしている時に「最近は、結婚や子どもを作る目的以外でセックスすることを暴力だと感じる若い人がいる」という話題になって、「今はそういうことになっちゃっているんだ」とびっくりした。

 それで、最初は私と同年齢か、少し年下ぐらいの女性が若い男性と付き合う話を考えたんです。若い男性は、性欲を抱くことを暴力だと思っている。でも、そうじゃない価値観の女性と付き合ったら、どういう風になるかなって。けれど、あんまり面白くなかったんですよね。「最近の若いやつは草食だ」みたいな話になっちゃって。


ニュースが小説の着想になると話す井上荒野さん。

――「みみず」の主人公の保育士の女性は、通園する子どもの父親と不倫関係になっています。

井上 振り子が逆にふれました。「みみず」の主人公は自己肯定感がすごく低い人なんだけど、性的な体の機能、つまり「みみず1万匹だね」と言われた言葉にすがって生きてる。初めの構想と真反対の作品になっていって、面白く感じました。声を大にしては勧めにくい話ではあるんですけど、自分では気に入っています。

自殺ほう助のニュースをきっかけに描いた「錠剤F」

――「錠剤F」を表題にしたのはなぜですか?

井上 タイトルも怖い感じでいいなと思って。「錠剤F」は、ネットで知り合った人が自殺ほう助をしたというニュースを見て、「そういう時代になったんだな」と感じたことから着想しました。

――きっかけになったニュースを教えていただけますか?

井上 どのニュースが、というわけじゃないんです。「自殺したい人」と「人を殺したい人」がマッチングして、本当に殺人事件が起きるニュースは多く耳にしますよね。

 社会の出来事を率先して小説にするタイプではないですけれど、流れてきたニュースの断片がずっと残っていて、例えば自殺ほう助で亡くなった方の親はどうしているのかな。友達はどう考えていたんだろうとか、思いを巡らせるんです。そうすると小説ができることがあります。

 事件そのものというより、関わった人たちのことが気になるんですよね。自殺を手伝おうとする人はどういう風に育ち、どういう仕事に就くんだろうと考えてしまうんです。


井上荒野さん。

――デビュー当時のインタビューを振り返ると、「意地悪な小説家にはなりたくない。変わった行動で変な人って決めつけないような小説家になっていきたい(旅の手帖.1989.5)」と語られていました。その言葉にも通じる考え方ですね。

井上 当時、そんなことを言っていましたか(笑)。

 結局、自分で決めたいんですよね。ちょっといい話とか、逆にすごく嫌な話とか、いくらでもニュースやSNSで流れてくるじゃないですか。でも、「それって本当にいい話なの?」「その話の脇役から見た景色はどうなの?」「悪い話だとしても、それをいちいち記録してる人はどうなの?」と疑ってかかる部分があって、それはデビュー当時から変わってないと思いますね。

食にまつわる温かな物語『ホットプレートと震度四』

――同時期に発売された『ホットプレートと震度四』は、全体的に温かなストーリーでした。

井上 「食にまつわる道具」が全体のテーマなんです。載っている写真は大沼ショージさんというカメラマンに頼んだもの。短編を書く前に食べ物屋さんで道具の取材をさせていただくというルポを書いていて、その時にご一緒した方なんです。

――短編集に載っている9つの作品の中で、ご自身が気に入っているのはどれですか?

井上 どれも好きだけど、「ピザカッターは笑う」が一番好きかな。

――親の店でパーティーをする息子たちと、それを見守る父親の思い出の交わりが印象的な作品でした。登場する「赤いサルのピザカッター」は実在するんですか?

井上 実在しますよ。私の誕生日に妹からもらったんです。私の家族は食べることが大好きだったからプレゼントしてくれたんですよね。当時は手で挽くコーヒーミルもよく使っていたんですけど、コーヒーミルの話は書きませんでしたね。


井上荒野さん。

――そうですね。コーヒーにまつわるお話だと、「コーヒーサーバーの冒険」がありました。家の窓が開いていたことで、子どもが外へ冒険に行ってしまう物語です。

井上 そうそう。このお話で書いている冒険は、たかが数百メートルの冒険なんですけど、子どもにとっては大きなものなんですよね。

執筆時は音楽をかけず文章のリズムを大切に

――この2冊は、書いていた時期も重なるんですか?

井上 少し重なっていますね。『錠剤F』は集英社の文芸誌『すばる』に不定期で載せていただいて、執筆期間は3年くらい。『ホットプレートと震度四』は半分ぐらいを淡交社の雑誌『なごみ』に載せて、あとは書き下ろしたんです。

――読み心地の異なるお話を同時に書くのは難しそうですが、執筆時にかける音楽を変えるとか、ルーティンで意識していることはありますか?

井上 ありませんね。私は音楽をかけると書けないんです。リズムが狂っちゃうので、静かな場所で、場所を変えることもなく、すべて同じ机に向かって書いています。


井上荒野さん。

――執筆する際に「1日何枚」と枚数を決めて書く方もいますが、いかがですか?

井上 書くのは遅い方なんですよね。何枚とかは決めていないし、一気に書ける時と書けない時の差もそんなに大きくありません。集中力がないから、すぐに「今日のご飯は何にしようかな」と考え始めたり、パソコンでX(旧Twitter)を見たり、服を買っちゃったりしてしまうんですよね。

――井上さんでもそういうことがあるんですね。

井上 そうやってネットサーフィンをしていたら、「トロイの木馬に感染しました」とすごい警告音が鳴ったことが2回あったんです。「止めたかったらこの番号へ電話しろ」と書いてあって、さすがに「詐欺だな」と思ったんだけど、夫にどうしようかと相談したら「とにかくパソコンの電源を落としなさい」となって。それで警告音は鳴らなくなったけど、書いていた小説が全部飛んだんですよね。あれは大変でした。2回目はちゃんと対処できましたけど。

SNSとの温度感

――大変なトラブルに見舞われたんですね。ネットサーフィンの合間にXを見る、ということですが、SNSの使い方で意識していることはありますか?

井上 本当にどうでもいいことしか書かないのをモットーにしていますね。Xは14、5年前から始めたんですけど、社会に対する自分の意見を自分が納得するように表明するには、絡んでくる人たちとのやりとりも含めて、それなりの時間をかけなければならない。それは自分には無理なので、「こいつはフォローしててもたいしたことを言わないな」と思われるくらいの温度感でやっているつもりです。

 Xを見ていると気の利いた人生訓とか、処世術みたいなのがいっぱい流れてくるじゃないですか。誹謗中傷とかヘイトを撒き散らしている人たちは論外だけど、「気の利いたこと」をしたり顔で呟くっていうのもイヤなんですよね。自分は絶対そういうことは言わない、と決めています(笑)。


井上荒野さん。

――そういう心持ちでされていたんですね。井上さんが投稿する猫や長野での暮らしを見ると、ファンとしてはほっこりします。

井上 SNSで読者からの感想に触れられるのは、私も嬉しいですよ。

 私は本当にボンクラで、政治や世の中のことを結構知らなかったんですけど、SNSのおかげで理解できるようになってきました。知らないと怒れないけど、理解できるようになると世の中に対して怒りを感じるようになるんですね。うちはテレビがないから、情報収集はもっぱらSNSです。

――さきほど自殺ほう助について、「ニュースで見た」とお話しになっていましたけど、テレビではなくwebのニュースでご覧になったんですか?

井上 そうだったと思います。東京に住んでいた頃はテレビがあったんですよ。5、6年前に長野の山の中に住むようになったら、テレビのアンテナを一生懸命伸ばさないとならなくなって。じゃあ別にいらないやって、そこから見なくなったんです。

 それからは、プロジェクターで映画や動画を見るようになったんです。だけど、お正月の昼間に「さあ映画をみよう」と思ったら、暗くならないので見られなかったんですよね。人が絶対に通らない場所に住んでいるからカーテンがなくて。あれは盲点でした(笑)。

井上荒野(いのうえ・あれの)

1961年東京都生まれ。1989年同人誌に掲載する予定だった小説『わたしのヌレエフ』をフェミナ賞に応募し、受賞。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、2016年『赤へ』で柴田錬三郎賞、2018年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞。著書に小説家の父について綴った『ひどい感じ 父・井上光晴』や、父と母、瀬戸内寂聴をモデルに描いた小説『あちらにいる鬼』なども。

文=ゆきどっぐ
撮影=山元茂樹/文藝春秋

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