“白い脂がべっとり”本格派ビストロに酷評が…「日本人、フランス料理があまり好きじゃない説」の深いワケ
CREA WEB / 2024年2月11日 17時0分
日本ほど、外国料理をありがたがる国はない! 博覧強記の料理人で、南インド料理の名店「エリックサウス」オーナーの稲田俊輔が、中華・フレンチ・イタリアンをはじめとする「異国の味」がどのように日本で受け入れられてきたかを記すエッセイ『異国の味』(集英社)。その一部を抜粋・編集し紹介する。
「白い脂がべっとり」本格派ビストロへの酷評口コミ
パテカンサラダの店の少し後にできた、とあるビストロがあります。この店は幸い今でもカルト的な人気店として続いており、目下、僕にとって日本で一番のお気に入りのフランス料理店です。
ある時たまたまネットでその店がオープンした当時、つまり2000年代半ば頃の口コミを発見しました。ちなみに酷評です。
ちょっと悪趣味なのですが、その内容を書き留めておこうと思います。ビストロ黎明期における貴重な資料だからです。もっともそのまま転記するのも憚られるので、文章は僕なりに多少(ニュアンスを損なわない程度に)整えておきます。
最初のテリーヌに唖然。え? テリーヌって白身魚やホタテを使った料理でしょ? でも出て来たのは冷たいハンバーグみたいなお肉の塊。こんなのが出てくるってわかってたらメインでステーキは選ばなかった……。
しかも縁や裏側は固まった白い脂でべっとり。その脂を必死でこそげ落としながらなんとか食べきったけど、しょっぱいわ香草の匂いはきついわで、もう既にギブアップ寸前。
そしてメインのステーキは、肉を焼いた時の肉汁みたいなもの以外はソースらしきものはかかってなくて、その代わりのつもりなのかマスタードがべっちょり。そして付け合わせがフライドポテトって、これフランス料理じゃなくてアメリカ料理でしょ……
これを無知と笑うのは簡単です。正直、僕も最初は苦笑しながら読みました。しかし、イメージとはあまりに異なる「フランス料理」を目の前にした彼女の心中は、察するに余りあります。シェフがもしその心中を知ったら、と想像すると、やっぱりやるせないものがあります。これは誰も悪くない悲劇です。
令和の今となっては、お肉のテリーヌやステーク・フリットを知らずにビストロに行く人もそういないかもしれません。でもそれだって、普段からビストロを訪れる人に限った話です。こういう悲劇は、今でもどこかで繰り返し起こっていることでしょう。
だからお店側は、可能な限りその悲劇を避けようとしなければなりません。そこにはやっぱり常に、作り手とお客さんのせめぎ合いがあるのです。
一流ホテルシェフが語ったエピソード
既に引退した、あるフランス料理シェフから聞いた、ちょっと面白いエピソードがあります。
シェフの修業のスタートは1970年代、そこは一流ホテルのフランス料理店でした。そのホテルの料飲部では、定期的にレクリエーション的な会合が開かれていました。いかにもその時代らしい福利厚生の一環ですね。
ある時からそのシェフ、いや当時で言うと「コックさん」は、その会合の料理を毎回任されることになりました。習い覚えたばかりのフランス料理で先輩たちをもてなすわけですから、ある意味チャンスです。そしてその新人コックさんはそれをうまくやってのけました。「あいつはなかなかできるぞ」という確かな評価を得たのです。
自信をつけたコックさんは、ある時、フランス料理ではなく中華料理を用意しました。たまには少し目先を変えた方がみんな喜ぶのではないか、という単純な思いつきだったそうです。
見よう見まねの中華でしたが、驚いたことにそれは、溢れんばかりの大絶賛でした。先輩たちは口々に「今までで一番うまい!」と大喜び。
しかしその後、コックさんは先輩コックさんに人目につかない場所に呼び出されます。先輩コックさんは煙草を燻らせながらこう言いました。
「お前、いい気になっとったらあかんぞ。あんなもん誰でもおいしいって言うに決まっとる。次からはまたちゃんとフランス料理を作れ」
先輩はあくまでフランス料理コックとしての誇りを伝えたかったのか、もしかしたらそこに後輩が皆に手放しで賞賛されることへの微かな嫉妬があったのか、真意はわかりません。しかしそこには揺るがない大前提がありました。「誰もがおいしいと思うのはフランス料理より中華料理である」という暗黙の了解です。
それは一流ホテルの料飲部という、いわば外食のプロ集団が相手でも覆らなかった、というのが、この話のキモです。
以前、70年代までのレストランの世界ではフランス料理に圧倒的な権威があった、ということを書きました。しかしその時代においても、それはあくまで「権威」や「格式」であり、おいしさや人気はまた別だったということなのかもしれません。そしてそれは現代でも本質的にはあまり変わっていないのではないか、と思うことがあります。
本場の味を大事にしていたお店に起きたこと
もうひとり、僕の知り合いの話をします。彼はフランスでの修業を終えて10年ほど前に地元で店を持ちました。オープン当初はまさに、本場の味をそのまま持ってきた店でした。
特別な材料が使われるわけではありませんでしたが、内臓やスパイス、豆を駆使した煮込みや、豚足から骨を抜いて詰め物をした料理など、一手間かけた繊細かつ豪快な料理が売り。日本のビストロで定番のキッシュやニース風サラダなんかも、よく見る可憐なものではなく、やたら褐色でゴツゴツしたワイルドなスタイル。
しかしそれは長くは続きませんでした。ニース風サラダやキッシュはいつの間にか量も見た目も可愛らしくなり、前菜にはそれら以外にカルパッチョやシーザーサラダも加わりました。メインの「煮込み枠」は、内臓や豚足ではなく煮込みハンバーグに。そしてその店はめでたく、ランチタイムはお客さんでごった返す繁盛店となりました。
更に夜のメニューでは、ローストビーフをウリにしつつアヒージョなどの小皿料理を増やし、元々のワインの価格設定が異常に安かったこともあり、ワインバー的に重宝されるようになりました。思い切ってパスタも始めて、「自家製厚切りベーコンのカルボナーラ」や「大人のナポリタン」は、全てのグループがどちらかを注文するくらいの人気メニューとなりました。
彼は、「かえって気が楽になったよ。みんな喜んでくれるし、正直仕込みも楽になった」と笑います。それが本心なのかどうか、僕にはわかりません。
日本人、フランス料理があまり好きじゃない説
こういう光景は、この店ばかりのことではありません。グルメ雑誌等では「ビストロブーム」などということがかつて言われて久しいですが、グルメ雑誌が煽るものがだいたい何でもそうであるように、それは決して世間全体を巻き込んだブームとまでは言えるものではありません。
僕は昔から「日本人は本当はあまりフランス料理が好きじゃないのではないか」と、うっすら思っています。それは、昔のホテルフレンチから現代のビストロまでずっと変わらないように思えます。
知人の店がまさにそうですが、定番料理は日本人が好む典型的なスタイルに落とし込み、そこにイタリアンやバル、洋食、といった周辺文化の助けも総動員して、ようやくビジネスとして成立するのがフランス料理なのかもしれません。
もちろん一定数以上の愛好家は存在します。そして(都会であれば)その期待に応えてくれる店は少数ながら存在します。そういう店はキッシュを「あえて」メニューから外すし、カルパッチョやパスタは「絶対に」置きません。そこには小さくて幸せな世界が成立しています。
更にもっと先鋭的な(そして極めて高額な)イノベーティブフレンチなどの世界もあります。それはエスニックやガチ中華、インド料理などと同様、本格的になればなるほど限定的なマニアによって支えられる、という「いつもの」構造。
しかしフランス料理には、エスニックなどには無い独特の呪縛があります。世界で最も格式高いもてなし料理であり、誰もが羨むべきものであり、極めておしゃれな食べ物である。そしてそうでなければならない。そんな呪縛。
そろそろみんな、フランス料理をそんな呪縛から解放してあげてもいいのではないでしょうか。ワイルドな料理を苦しくなるまでガツガツ喰らったり、繊細な料理に全神経を集中させて無言で向き合ったり。社交もおしゃれも格式も関係なく、もっと素直に楽しめばいいのでは? そんなふうに思っています。
著者=稲田俊輔
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