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映画を自分ごととして〈わかる〉〈おもしろい〉ってどういうことだろう? と考えた「異人たち」「異人たちとの夏」「94歳のゲイ」【二村ヒトシコラム】

映画.com / 2024年5月4日 20時0分

 ほんとならホラーっぽいシーンでは、原田の〈女というものに呑み込まれるのが怖い〉という根源的な恐怖と、そういう原田に向けての〈女〉の怒りと呪いを表現しなければいけなかった。そうすればもっと怖くなったはずで、でも大林宣彦監督は、そこには踏み込めなかった。原田自身が(そして原田を自分の分身として創作した原作者の山田太一が)そのことに最後まで無自覚だったからではないでしょうか。大巨匠2人をつかまえてすごいこと言ってますが、僕は以前この連載で書いた「太陽がいっぱい」の主人公からゲイ要素がキャンセルされてしまっていたことも思い出しました。時代のせいなのかもしれません。

 じつは映画「異人たちとの夏」は、監督にも原作者にもそんなつもりはなかったかもしれないけれど、心の底にゲイ指向があることを心の表面では意識できずにいる、あるいは、うすうす自覚しているのにかたくなに認めないでいる男の話だった。そう考えると片岡鶴太郎の唐突な色気や永島敏行の存在(どちらも「異人たち」ではカットされた要素)が不自然なものではなくなる。

 「異人たち」を観てから「異人たちとの夏」を再見してその差分を考えたことで、なんと、僕にとって「異人たちとの夏」は変な映画じゃなくなってしまいました。それどころか味わい深い、おもしろい映画になったのです。原田の感情が自分ごととして〈わかった〉からです。

▼胸を掻きむしられるような思いと同時に、〈おもしろい〉と感じる資格はあるのかなと自問した「異人たち」

 今回書きたい2つめのことは、もちろん「異人たち」のことです。

 さっきちょっと触れた、逆に「異人たちとの夏」にはなくて「異人たち」で新たに書き加えられ、その中心に据えられた重要なドラマ。それは自分がゲイであることをしっかり自覚しているアダムの、両親へのカミングアウトです。原田はしなくてもよかったことを、アダムという人は少年時代の積み残しとして、どうしてもしたい。

 アダムは勇気をふるって、それをします。ところが母さんも父さんも昭和の人ですから、いやイギリスの父さん母さんですから昭和の人じゃないんですがニュアンスはわかってください、両親の幽霊はアダムを心から愛してはいるけれど彼のアイデンティティの最も大切な部分を、うまく受け入れることができない。お母さんもお父さんも正直すぎるのです。これは子どもにとってつらすぎます。

 もう会えないと思っていた死んだ両親の幽霊と再会する物語を翻案することになったとき、このテーマをぶち込むしかないと決めたアンドリュー・ヘイ、すごい監督だと思います。観ていて僕は胸を掻きむしられるような思いがしました。ただ、それと同時に「異人たち」は僕が〈おもしろい〉と感じてもいい映画なのかな、僕にその資格はあるのかなと、ひっかかったんです。

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