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映画を自分ごととして〈わかる〉〈おもしろい〉ってどういうことだろう? と考えた「異人たち」「異人たちとの夏」「94歳のゲイ」【二村ヒトシコラム】

映画.com / 2024年5月4日 20時0分

 もしかしたら僕が「わかる」「おもしろかった」と言えるような性的マイノリティを主人公にした映画には、傷ついてしまう当事者がいるのかもしれない。僕がおもしろがれてしまう性的マイノリティ映画にはノンケでもその気になれる、感情移入しやすさという暴力性が含まれてるのかもしれない。

 すなおに「わかった」「おもしろかった」と言ってはいけないような気がしてしまう「ムーンライト」や「異人たち」のような映画は、傷つく当事者が少しでも出ないよう、そういう一種の暴力性を、ていねいに取りのぞいて作られているのかもしれない。(また別の種類の暴力性は、ふくまれている可能性はあります)

▼〈わかる〉なんて言えないはず、でもとても〈おもしろい〉と感じた「94歳のゲイ」

 ある映画を自分ごととして〈わかる〉〈おもしろい〉ってどういうことなんだろう? もしかしたら、おもしろがること自体が暴力なんだろうか。「異人たち」を観た後そんなことを考えていたんですが、あまり日を置かずにたまたま別の映画を観る機会があって、また少し考えが変わりました。今回書きたい3つめは、その映画のことです。

 「94歳のゲイ」はドキュメンタリー映画です。大阪に住む1929年生まれの長谷さんと、その周囲の人たちの日常をカメラは切り取っていきます。

 登場人物は全員、実在しています。監督が創作したキャラクターではありませんから起きる出来事も何かのメタファーではありません。その個人の固有の出来事です。僕の体験になぞらえて〈わかる〉なんて言えないはずです。ところが、この映画を僕はとても〈おもしろい〉と感じちゃったんです。なんの罪悪感もなく。

 それは、たぶん「94歳のゲイ」が〈友だちができること〉を描いた映画だったからです。

 長谷さんは94歳の現在まで一度も恋愛もセックスもしたことがない同性愛者です。この映画には、そんな長谷さんと〈友だちになっちゃった〉としか言いようのない関係をむすぶ人たちが出てきます。ある期間にわたって撮られたドキュメンタリーですから、彼らはカメラの前で、ゆっくり友だちになっていく。

 そしてこれは長谷さんの人柄によるところが大きいのですが、映画の中の出来事の副産物として、映画を観ている僕も長谷さんの友だちになれたような気がしたのです。

 僕は自分の友だちの気持ちがわかるわけではありません。友だちだからといって「わかるよ!」などと言うのは暴力だと思うのです。長谷さんの人生の長い長い時間のことは僕には絶対にわかりません。でも、わからないまま友だちのことを「おもしろい人だなあ」と思ってしまうことはある。ていうか、おもしろいと思えない人とは友だちになりにくい。

 「94歳のゲイ」を観て、長谷さんだけでなくどの登場人物のことも〈わかる〉とは畏れ多くてとても言えないですが、うかつな感情移入はしないまま長谷さんたちのことを〈おもしろい〉と思えた。そういう映画の鑑賞の仕方があることを体験しました。とてもいい経験で、とてもいい映画でした。

 ぜひ「異人たち」をご覧になったかたは「異人たちとの夏」も、それから「94歳のゲイ」も観てみてください。

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