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石原さとみ「よく生きて帰ってこられたなと思う」 吉田恵輔監督と念願タッグ、苦闘の日々を振り返る

映画.com / 2024年5月17日 12時0分

 石原:でもそうやってクールに対応していくのはすごくカッコいいと思います。私はそうしたくてもできないから。

 ――いまお話に挙がった「ドキュメンタリー性」について、ぜひ伺わせてください。劇映画において、どのようにバランスを取っていくのか等々……。

 𠮷田:石原さんの役への向き合い方がドキュメンタリー的になるようにこちらも動いたという感じでしょうか。「こういう演技プランで行くよ」というものではなく、「本当に沙織里がこの状況になったらどうなるんでしょう。いまがそうです。はいどうぞ!」というような形で撮っていきました。階段を4段上ったところでちょっと間(ま)を空けてこのセリフを言って――といった細かい技術の話ではなく、その状況に自分がなったら?を脳内で信じ込ませるようなエチュード(状況を設定した即興芝居)っぽいものですね。とはいえセリフはあるし次に何が起きるかわかっているはずなのに、わかっていないまま走っている感じがして「すごいな」と思わされました。

 ――石原さんは撮影時、「よーい、ハイ!」と録画が始まる前から動作をスタートしていたと伺いました。撮影開始と同時に動作を始めるのではないアプローチもまた、ドキュメンタリー的ですね。

 石原:そうですね。先ほど𠮷田さんが「エチュード」と言われていて確かに!と思ったのですが、こうした感覚は初めてでした。実際に使われるであろうシーンの前後もやっていたのでどこを撮られてもいいし、途中からカメラを回すのが早くなってきたなとは感じていました。

 𠮷田:ただそうしたアプローチは疲れはするよね。1日の撮影が終わって家に帰って子どもがいる生活の中に入ったら、作った感情もまた振出しに戻ってしまうだろうから。

 石原:ただ、撮影期間は家にいるときも心が欠けた状態で、たった1日会えなかっただけでも今生の別れをした後の再会みたいに子どもと抱きしめ合っていました。撮影に入る前にも家族や周りに「ボロボロになると思う」と相談しましたし、本当に支えてもらいました。

●間の悪さ=現実的 主人公の日常に“誰かの生活”が介入するというリアリティ

 ――「ミッシング」もそうですが、𠮷田監督の作品は人物が表面的ではない点が魅力だと感じています。沙織里を支える砂田にしろ「見つからないと思っている」ことを後輩に指摘されたり、単に良い人/悪い人にしないシーンを必ず入れますよね。

 𠮷田:基本的に長所と短所を両方一緒に描かないと、俺の中で気持ち悪いんです。世の中には完璧な善人もいるかもしれないけれど、基本的にはなるべく悪いところも含めて愛してこそ人だなと思います。自分だって短所を直したいけどなかなか直らなくて「まぁいっか」みたいな気持ちもあるし、人のそういうところを見ている気がします。あと、自分の考えが必ずしも正しいとは限らないですよね。自分が自分に騙されている可能性があるし、明日は違うことをいっているかもしれない。人間なんてそんな一貫性がある生き物じゃないという意識が、根幹にあるように思います。

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