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【50歳記念インタビュー】井浦新が語り尽くす、俳優デビューから現在までの25年間

映画.com / 2024年9月15日 11時0分

 一生懸命やってはいるのですが、芝居が何なのか掴めないままやっていた。俳優を志してこの世界に飛び込んできていないから、どこまで続けられるかも分からないし、怖いものがなかったんでしょうね。俳優として守るものもありませんでしたから。

 『ピンポン』のお話をいただいたときも、(原作者の)松本大洋さんが大好きだったんです。だからこそ、スマイル役以外はリスクを背負ってまでやりたくないですってお戻ししたら、スマイル役でオファーが届きました。ラッキーだったんです」

■一度は「自分は向いていないのでは?」と背を向けたが……

 「ピンポン」でそれまで以上に認知度が上がり、井浦にとっては大きな壁が眼前に立ちはだかった。

 「お芝居以外の宣伝的なことを色々やったのですが、自分の名前が思った以上に外へ溢れ出て行く現象に戸惑ったんです。映画出演4作目にして、『やはり自分は向いていないのでは?』と思ったり……。

 現場は楽しいんですよ。監督、スタッフ、共演者と映画を作ることは楽しい。でもそれ以外のことに振り回されることに対応できなかった。嫌なものは嫌だとはっきり口にしてしまうタイプでしたし、心が未熟すぎたんです。『これは無理だ…』と思って、疲れちゃったんです」

 そんな時に、また井浦を求める映画人たちが現れる。「青い車」(04)の奥原浩志監督と越川道夫プロデューサーだ。「断っても、断っても、ずっと『会ってくれ』って。厄介な人たちがいるなあ(苦笑)って、こちらが根負けして『会うだけなら』って3人でお話をしたんですけどね」と井浦は当時を思い出したのか、表情を綻ばす。

 「自分のことを必要としてくれることに喜びを感じないわけがないですよね。一瞬でも背を向けたわけですが、必要とされて、それに応えることの有難さを感じて、またやってみようかなって。だから、本当に徐々になんです。1年に1本、2年に1本みたいな形で、慎重にやっていました。

 そのスパンだとキャリア的に成長できないし、キャリアを重ねることにもなっていない。かなり特殊なスタートを切らせてもらっていたというのは、後々になって分かってくるんです。『俳優です』って胸張って言えるようになってきた頃に、周囲にこんなスタートを切った人いないぞって気づかされました。

 色々な人と現場を重ね、出会い、ご縁をいただきながら知らぬ間に自分の道みたいなものが少しずつできてきた。難しさと面白さを同時に味わえて、挑戦する気持ちが自分のなかでも固まってきて、俳優としてどう進んでいきたいのか、どんな俳優になりたいのかという質問にも答えられるようになってきたのが、この時期です」

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