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長塚京三がフランス文学を愛する“枯れない”独居老人に 原作・筒井康隆が絶賛、吉田大八監督と語る12年ぶりの映画主演作「敵」

映画.com / 2025年1月18日 11時0分

 それが演技というものなのでしょうが、僕の場合、いわゆる演技演技したものはピンと来ないのです。僕なりのやり方で言えば、そんなふうな気分でやってみる、生きてみる、動いてみること。それはなかなか楽しいものです。

 例えば、自分が裸になって、いわゆる老醜を晒して、しかもそれを鏡を通して見ながら、老いというものをなぞるという場面は、願ってもいない演技の経験でした。ただ自分を見て、「あ……」と、思っているだけですが。そうか、きっとこれが演技かな、と感じて、とても楽しく、勉強になりました。

――老境の自分を俯瞰しながら、自身の美学に基づいて生きる儀助のようなシニアがいたら素敵だな、と思わせてくださる演技でした。

長塚:演じているこちらはそんなことは全く考えていませんが(笑)。やっぱりそれは監督の目でしょうね。

吉田:自分の美学はこうだ、という自意識ほど美学から遠いものはありませんよね。もちろん意識はしてしまうけど、意識の痕跡をどれだけ消せるかが勝負です。そういう意味では、長塚さんには失礼かもしれませんが、僕は儀助さんを演じる長塚さんという前提を一回忘れて、カメラの前の長塚さんはほぼイコール儀助さん、という思いで撮影していました。その儀助さんの肉体をお借りして最終稿を書き、映画を完成させたという感覚が近いかもしれません。

――カメラはずっと長塚さん演じる儀助を映し続けます。10年以上ぶりの映画主演ということで、肉体的にハードな撮影ではなかったですか?

長塚:僕は割と劇のカメラと割と相性が良いほうで、苦にならないのですが、料理をするシーンの手元などは、ごまかしようがないので緊張しました。本当に具体性のある、監督が欲しい通りの動きをしなければならないので。

吉田:とくに前半戦は家からほとんど出ずに、機材に囲まれたすごく狭い空間の中で細切れのシーンをコツコツ撮っていきました。まず朝食を作って食べ、着替えて蕎麦を茹でて食べて……場所の移動でもあればもう少しメリハリも出るのでしょうが、地味にゆっくり息が詰まっていくような撮影で、長塚さんはご苦労されたと思います。でもそれを一切顔に出さず、カメラの前に淡々と立ち続ける長塚さんに、逆に共演者やスタッフたちが励まされる。そんないい雰囲気の循環を感じられた現場でした。

――長塚さんは儀助の設定に対して、監督に提案したり、アドリブを入れたりされたのでしょうか?

長塚:そういうことはあまりなかったですね。でも、してもしなくてもいいんです。変な言い方をすれば、監督の顔色見ていれば、大体自分が正しい軌道上を回っているかどうかがわかりますから。だから僕は僕で、僕なりのやり方で楽しませる。これが儀助ですが何か? と言えば儀助になりますから。それが通用する現場で、またその楽しさをひとしお感じていました。

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