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長塚京三がフランス文学を愛する“枯れない”独居老人に 原作・筒井康隆が絶賛、吉田大八監督と語る12年ぶりの映画主演作「敵」

映画.com / 2025年1月18日 11時0分

吉田:僕も長塚さんの顔色を見ながら、儀助を知っていくような感じでしたから、儀助が不快な状況で、ちゃんと長塚さんが不快そうならたぶんOKで、儀助が楽しそうな時に、長塚さんが楽しそうだったらそれもOKという、そんな基準に助けられましたね。

――儀助のフランス文学への情熱など、映画の中では原作よりもフランス文化のエッセンスが色濃く出ています。キャスティング当初からフランスとゆかりのある長塚さんを意識されていたのでしょうか?

吉田:儀助をお願いした後で、そういえばフランスに留学されていたんだなと思い出したくらいでした。しかし、フランス語のセリフや文学に関する記述に違和感がないかを直接確認できたことは有難かったし、聞かせていただいた留学時代のエピソードも、儀助の描かれない過去としてキャラクターの厚みを増してくれた気がします。

――長塚さんは学生時代から演劇を学び、フランス留学中に、現地の映画で俳優デビューされていますね。近年も「UMAMI」(22/邦題「旨味の旅」で配信中)というフランス映画に出演、儀助が言及する戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」映画版主演などでも知られる、名優ジェラール・ドパルデューと共演しています。フランスとのかかわりは、ご自身のキャリアにおいてどのような影響をもたらしましたか?

長塚:早稲田大学に入学して、演劇科で日本で芝居をやっていくことに志がありました。でも、ひょんなことでフランスという国に行って、しばらく生活することになって、それが映画に出るきっかけになりました。そしてその後に日本のテレビドラマに出るきっかけにもなって……そういう行きがかりみたいなものですね。

 何かを計画的に、1つのステップ、次のステップという形で進めて、フランス的なものと付き合ってきたのではありませんが、それとなくフランスで友達ができて、言葉も少し覚えて帰ってきたという感じです。ですから、そこから先はフランスとの接点はほとんどないんです。友達が応援してくれたり、助けてくれたので、フランスには恩義を感じていますが、まずは日本で日本のお客さんを前に、お芝居したいという気持ちでした。

 それは遅ればせながら30代になって実現し、現在に至ります。そして、今、監督とこういうお仕事ができるのも本当に嬉しいことです。当時はまさか自分が日本の俳優になれるとは思っていなかったので。「UMAMI」のようにフランスにかかわる仕事が来たときは、言葉も自転車と同じように、操縦すれば少しずつ思い出せたので、ドパルデューさんともお話しできました。

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