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横浜は「嫌なことしてきた」 “三羽烏”のはずが…甲子園で痛感「気づいたら負けてた」

Full-Count / 2024年4月4日 6時50分

元阪神・工藤一彦氏【写真:山口真司】

■土浦日大・工藤、横浜・永川、銚子商・土屋は“関東三羽烏”と称された

“関東三羽烏”でしのぎを削った。元阪神投手の工藤一彦氏が初めて甲子園のマウンドに上がったのは1974年、土浦日大3年春の第46回選抜大会だった。2年秋の茨城大会を制し、関東大会でベスト4入りして、聖地の切符をつかんだ。工藤氏はエースとして土浦日大を春夏通じての甲子園初出場に導いたが、そこにたどり着くまでのハイレベルなライバルたちとの戦いも見逃せない。

 1972年の1年夏からベンチ入りした工藤氏が、土浦日大のエースとして力を発揮しはじめたのは1973年の2年春の茨城大会だ。準決勝の大宮戦は5-0、決勝の日立一戦は2-0と2試合連続完封で優勝した。関東大会は準々決勝で、その年の春の選抜優勝の横浜(神奈川)に1-2で敗れたが、同学年の横浜・永川英植投手(元ヤクルト)との投げ合いで注目を集めた。土浦日大は3回に1-1に同点に追いついたが、4回に勝ち越され、逃げ切られた。

「俺が三塁打を打って1点取ったけど、確かスクイズでやられたと思う。選抜帰りの横浜にあまり打たれなかった。でも、勝てなかったね。横浜はちょっとした仕草、バントする格好とか、嫌なことをしてきた。(横浜の)渡辺(元智)監督の勝負勘というか、采配がうまかった」。永川投手についても「球が重いし、さすが甲子園に出ただけあって、すごいなと思った。俺も負けるもんかと思って投げたんだけどね」と振り返った。

 その大会で優勝したのは江川卓投手がいた作新学院(栃木)。1学年上の怪物右腕は工藤氏にとって、目標の投手だったのは言うまでもない。のちに工藤氏は阪神投手として、巨人・江川投手と何度も投げ合うことにもなるのだが、この頃はとにかく刺激を受けるばかり。このような経験を生かして、春の茨城県王者として、甲子園切符を勝ち取るべく、夏の大会に向けて意気込んだ。

 しかし、結果を出せなかった。2年夏は茨城大会準々決勝で常北に2-3で敗れた。7回裏に3点を奪われてのまさかの逆転負けだった。「どうやって点を取られたかは覚えていないけど、相手は中川という変則のアンダースロー。そいつにやられた。俺は最後の打席、先頭打者でセンター前ヒットを打った。これで同点になるかと思ったけど、後が続かなかった。ちょっとなめていたよね。悔しかったわ」。

■土浦日大は1974選抜に初出場…優勝した報徳学園に2回戦で惜敗した

 2年秋はそれをバネにして巻き返した。茨城大会を順調に勝ち上がった。準々決勝は太田一を3-0、準決勝は鉾田一を2-0、決勝は磯原を7-1で下して優勝した。関東大会は1回戦で東農大二に7-1で快勝。準決勝で土屋正勝投手(元中日、ロッテ)を擁する銚子商(千葉)に延長10回2-3でサヨナラ負けを喫したが、4強入りしたことで、ついに選抜出場をつかんだ。

「銚子商とはよく練習試合をやっていて、だいたいウチが勝っていた。負ける気はしなかったんだけど、あの試合はしぶといバッティングをする(銚子商の1学年下)篠塚(利夫、元巨人)に打たれたんだよなぁ」と工藤氏は懐かしそうに話した。土屋投手とは仲も良かったという。「あいつは真っ直ぐとカーブだけだったけど、コントロールがよかった。カーブが決まったら手こずる相手だったね」。ライバルとしてしのぎを削る間柄でもあった。 

 工藤氏は横浜・永川、銚子商・土屋とともに“関東三羽烏”と呼ばれたが、1974年の選抜は、その3投手が勢揃いし、甲子園のマウンドで躍動した。前年選抜優勝投手でもある横浜・永川は1回戦・御所工(奈良)を1安打完封、9奪三振の7-0。銚子商・土屋も岡山東商(岡山)を1安打完封、6奪三振の1-0。そして工藤氏は新居浜商(愛媛)相手に1失点完投の3-1。2安打、10奪三振の堂々たるピッチングで全国デビューを果たした。

 土浦日大は2回戦で、優勝した報徳学園(兵庫)に1-2で敗退。「スクイズとかバントとかで揺さぶられて負けた。自分の中では打たれた記憶がないんだけど、気がついたら負けていたって感じだった。俺たちは打つとか詰まらせるとかだけど、報徳は違う。90度の内野のフェアグラウンド内で勝負するというかね、まぁその辺が強い学校との違いだなというのはすごく感じたな」と工藤氏は言う。

 当時の報徳学園は右の住谷正治投手と左の東芳久投手の継投で勝ち上がったチーム。工藤氏が「ウチの打線は球の速い本格派には強いんだけど、左ピッチャーのカーブとかは苦手だった。報徳もそうだったよなぁ」と言うように土浦日大は、落差の大きいカーブが武器の報徳のリリーフ左腕・東投手に反撃の芽を断ち切られて敗れた。ちなみに横浜も2回戦で高知(高知)に0-1で敗戦。銚子商は準々決勝で報徳学園に土浦日大と同じスコアの1-2で敗れた。

 工藤、永川、土屋の“関東三羽烏”は、鹿児島実・定岡正二投手(元巨人)を加えて“高校四天王”とも言われるようになり、プロから注目される存在になっていった。工藤氏は「騒がれるのは好きじゃなかった」と言うが、この高校時代のライバルたちの存在も野球人生における“活力剤”になったことだろう。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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