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“高校で引退”から這い上がった男、U-22日本代表DF亀川「今年は大きな勝負の年」

ゲキサカ / 2015年4月21日 11時0分

――福岡では左SBや中盤の右アウトサイドで起用されています。
「湘南のときも右と左で半分くらいずつ出場していたので両サイドでプレーできるのは自分の強みの一つです。井原正巳監督からも『両方できるように』と言われていますし、自分の中では右サイドでも左サイドでも、最終ラインでも中盤でも同じレベルでプレーできると思っています」

――帝京三高時代にはFWとしてもプレーしていました。
「高校1年のときはFWでしたが、ポジションがだんだん下がっていきましたね。FWをやってトップ下、サイドハーフ、ボランチときて、SBとCBですから。高校のときは、GK以外のポジションは全部プレーしてきました。ただ、SBでプレーしていても、ある局面ではゴール前にいるときもあるので、FWでプレーしていた頃を思い出してゴールへの意識は相当強いものが出ます。それはプラスだと思うし、いろいろなポジションを経験してきたことは自分の武器だと感じていますね」

――ただ、自分の良さが一番出るポジション、ここで勝負したいポジションがあると思います。
「僕の持ち味はボールを奪った瞬間に前に出て行けることや、味方のボール保持者に対して、ランで助けられることです。攻守の切り替えのスピードや前に出て行く推進力では他の選手に負けたくないし、一番後ろから駆け上がっていくのが好きなので、それを考えると最終ラインで勝負したいのかも知れません。もちろん僕のクロスから得点が生まれるのが理想ですが、たとえボール保持者を追い越してボールをもらえなくても、その選手がクロスを上げて得点に絡んでくれれば上下動は苦になりませんし、何より自分自身がそこにやりがいを感じています」

僕は本当は高校で
サッカーを辞めるつもりだった

――リオデジャネイロ五輪を目指す代表には、手倉森誠監督が就任以降、コンスタントに招集されています。
「手倉森さんが監督に就任してからコンスタントに呼ばれていますが、それまでの僕は代表には縁がありませんでした。高校時代は無名で高校選手権にも出場したことがなかったので。初めて代表に呼ばれたときに『自分の年代はリオ世代なんだ』と実感して五輪が大きな目標に変わりましたが、プロ生活が始まった頃は五輪は遠い世界、違う世界のように感じていました。だから自分と同じ年代の代表チームを見て、『こういう選手が選ばれているんだ』『あの高校の選手は代表選手なんだ』という感想を持っているだけでした。久保裕也(ヤングボーイズ)なんかは京都で試合に出ていて、A代表にも呼ばれていたので有名人でしたよ」

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