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筑波大FW中野誠也、目標とするのは「ゴンさん」の背中…注目ストライカーの今

ゲキサカ / 2017年8月14日 10時19分

―そこで腐ることなく、上手く切り替えることができた。
「高校3年生の早い段階、8月か9月には上がれないと言われ、10~12月頃は普通に磐田U-18でやっていたこともありましたし、切り替えは早かったです。正直言って、逆に大学へ行ってから2年の途中くらいまでは、“ジュビロへ帰らないで、他へいってやろう”くらいの気持ちでいたんです」

「そうは思っていたんですけど……でも、ジュビロがJ2へ落ちたときは自分が高校3年生のとき。あの頃は僕は(磐田へ)戻るつもりがなかったので、ショックはそんなには感じていませんでした。それでも、大学1年のとき、山形のGK山岸(範宏)選手にヘディングシュートをくらって、J1へ上がれなかった年。あの時にはかなりショックを受けていたので、その頃にはもうジュビロへ戻りたいという気持ちが強くなっていました」

―磐田を離れ、筑波大へ進んだ最初の1年間でかなりの心境の変化があったんですね。
「1年生の後期から筑波で試合に出させてもらって、自分のなかでもある程度の自信もついてきましたし、プロ入りも届く存在になってきた。そうして考えたとき、戻るなら磐田だなというのがありましたし、いろいろな要素が重なっていたんだと思います」

「それに加えて、大学1年の夏に金沢遠征へいってフェスティバルに出場したのですが、その大会に名波さんがゲストで来ていたんです。そうしたら決勝戦で筑波が撮っていたビデオの横に名波さんがいたらしくて、僕がドリブルしたときに、『あれ、中野誠也じゃないか?』と言ってくれていて。ビデオを撮影していた人も、『名波さんが誠也のことを言っていたよ』と教えてくれて。筑波大に進んでいたことは知っていたそうですが、ピッチのプレーを見て気づいてもらえたので、嬉しさがありました」

―心境の変化に加え、大学4年間ではプレー面で大きく成長したと思います。
「身体の強さとかはもちろんですが、そういう細かい部分よりも裏への飛び出しに関して、一番変わったと思っています。高校の時点で、自分としては裏への抜け出しは大学でもいけるんじゃないかと思っていたんですが、まったく通用しなかった。前期リーグでは試合に出してもらうこともありましたけど、自分としては“ゴールはたまたまでしか取れないな”という感覚でやっていたので……」

「それでも、そんなときに今はセレッソ大阪でアシスタントコーチとして分析をやっている須和部譲さんという方が、僕が1年生のときは筑波大コーチでいたのですが、かなり練習をやっていただいたんです」

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