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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:フィールド・オブ・ドリームス(ラインメール青森・奥山泰裕)

ゲキサカ / 2018年6月10日 9時18分

10番を背負ったMF奥山泰裕らラインメール青森イレブン。千葉相手に健闘したが、PK戦で無念の敗退に

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

「今日も勝てなかったので、まだサッカーはやめられないなって感じですよね。また勝つ日までというか、Jリーグに戻って彼らと対戦できれば一番いいですけど、そこをまず目標にして頑張っていきたいなって思います」。当時は足を踏み入れることすら叶わなかった、かつての“ホームスタジアム”で躍動した奥山泰裕は、そう言い切って、少し笑った。きっと32歳のサッカー小僧は、あのフィールドに再び立つ日を夢見て、また明日からもボールを蹴り続けるのだろう。

 2008年。東北学院大学で4年間の研鑽を積んだ奥山は、ジェフユナイテッド千葉へ入団する。長友佑都や東口順昭らもチームメイトに名を連ねた全日本大学選抜に、東北地区からは唯一名を連ねた実力者。他のJクラブからもオファーを受けていた中、夏のキャンプで仙台を訪れていた千葉との練習試合で好パフォーマンスを披露し、本人も「『練習試合やるか』ぐらいの感じだったので、まさか入ることになるとは思わなかった」クラブで“Jリーガー”という職業に就く。

「『スターダムを夢見て』じゃないですけど、『バリバリ活躍して』という気持ちを抱いて」飛び込んだプロの世界。ところが、現実は容赦ない。当時の千葉は、JFLに参戦するチームの“リザーブズ”も保有しており、彼の主戦場は例外なくそちら。時には全員参加と聞いたトップの練習に、1人だけ呼ばれなかったこともあったそうだ。「プロの壁みたいなものに阻まれて、ケガも凄くしたし、率直に苦しかったなって思うんですよね」とその時を振り返る奥山。2年目には「リザーブズ一辺倒」になり、憧れていたフクアリのピッチはどんどん遠のいていく。

 今から省みれば「逆にJFLでプレーしていても、そこでちゃんと結果を出していればトップに呼ばれる訳で、やっぱり自分の実力が足りなかったんです」と理解できる。とはいえ、渦中にいる時こそ、そう冷静さを保てるものではない。「たぶんそれでふてくされたり、顔や態度に出したりすることがあったと思うので、そういう部分は子供だったなと思います」。2009年7月にはリザーブズと同じJFLに所属していたガイナーレ鳥取へ完全移籍。奥山はフクアリの芝生を踏むことなく、千葉でのキャリアへ別れを告げることとなった。

 試練の時間は続く。2009年シーズンはJ2に昇格できなかったため、奥山は大幅に給与を減額された契約更新を提示される。強化部も他クラブのセレクションを薦めてはくれたが、対象は同じJFLやそれより下のカテゴリーのクラブ。その時、奥山は悟った。「現実を見ると、『自分でお金を出してセレクションを受けに行って、こういうチームに入るしかもう道はないんだな』と思ったんです。それなら『契約があるんだったら、J2にチャレンジすべきだな』と。鳥取に来てまだ何も成し遂げていないし、『環境のせいにして辞めるのは違うな』と」。クラブにアルバイトを並行することを伝え、契約書に判を押す。こうしてサッカーとアルバイト、二足の草鞋を履く生活がスタートした。

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