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ウエーブカップの復刻から紐解くミズノの革新スパイクの系譜とは…

ゲキサカ / 2018年11月23日 19時0分

ミズノの革新性・テクノロジーによって生み出されたサッカーシューズ

 ミズノは、2001年発売スパイクの『ウエーブカップ リバウド 2002』を復刻したサッカーシューズ、『ウエーブカップ レジェンド』を今月3日より全国のミズノ品取扱店で発売中だ。『ウエーブカップ リバウド 2002』は2002年の日韓ワールドカップで元ブラジル代表のリバウドが着用したスパイクである。当時のスパイクとしては画期的な軽さ(片足200g)を実現し、ミズノウエーブというクッション機能も搭載した高機能スパイクで、瞬く間に人気を博し当時のサッカープレーヤーたちがこぞって着用したことでも知られている。そんな『ウエーブカップ リバウド 2002』がなぜ2018年の今になって復刻されたのか。『ウエーブカップ』というスパイクはミズノのサッカースパイク史においてどういう存在なのか。『ウエーブカップ』開発責任者の大禮剛(おおれい・たけし)氏に話を聞いた。

――ではまず、大禮さんの経歴をご説明していただけますか?
「私は小学生のころにサッカーをはじめて大学まで一貫してサッカーを続け、大学卒業後も社会人クラブでプレーしました。ミズノ株式会社には1990年に入社し、今年で勤続28年になります。入社1年目は営業の部署に配属され、2年目からは陸上競技のスパイク・シューズの企画と開発を担当しました。陸上競技のシューズ開発の最初の仕事は男子ハンマー投の室伏広治選手の競技用シューズを作ること。シューズ開発の部署に異動して最初から大仕事が待ち受けていましたが、それをうまくこなしながら陸上競技の各種目別のシューズ開発を約9年間経験しました。陸上競技のシューズ開発で培ったノウハウや知識、経験などを活かして2000年4月からいよいよサッカースパイクの企画・開発を任されることになり、そこからわずか2か月後の2000年6月にリバウド選手が来日した際に初対面。ミズノ大阪本社でリバウド選手の運動データや足圧・足型などを計測して本人とともに『ウエーブカップ』の開発に臨むことになったのです。

 当時、リバウド選手はバロンドールを受賞し、ブラジル代表でもバルセロナでも背番号10を背負っていた世界最高峰プレーヤーの一人。彼の動きや運動データを元に設計するサッカースパイクを完成させることができれば、履いてくれた人が必ず正しいプレー、いいプレーができるという確信があり、一緒に開発を進めていきました。このとき、彼は元々ミズノ『モレリア2』というスパイクを着用していましたが、モレリアシリーズはミズノの伝統やクラフトマンシップを象徴する存在で、当時からすでに定評を得ていました。その一方、ミズノのサッカースパイクがさらにステップアップしていくためには、革新さや新たなテクノロジーを採用したスパイクの開発、つまり新しいシリーズを生んでいかなければならないという課題がありました。世界最高峰プレーヤーであるリバウド選手との出会いや、2002年に日本でワールドカップが開催されるという千載一遇のチャンスが重なったことが『ウエーブカップ』という新たなシリーズを作るきっかけとなりました」

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